はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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赤坂氷川神社
5月上旬頃、仕事帰りに赤坂氷川神社でお参りした。

天暦5年(951年)、蓮林僧正が霊夢を見て、現在の赤坂四丁目のあたりに奉斎したと伝えられる。享保15年(1730年)、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の命により、現在地に遷された。現在の社殿はこの時に造営されたもので、東京都の有形文化財に指定されている。麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とされる。御祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命 (おおなむぢのみこと)(Wikipedia)。



強風が吹いていたので、ブレブレになっているが、鳥居をくぐった後、大量の木々に囲まれた世界になる。多くの神社は、立派な樹木がたくさん植えられていて、閉ざされた異空間になっている感じが好きだ。











大イチョウは、港区の天然記念物だそう。






仕事終わりに、御成門から神谷町を抜けて、六本木一丁目迄歩いて行った。六本木駅付近は、たま〜に用事があって行く事があるが、六本木一丁目付近には用事が無いので、ほとんど行った事なかった。泉ガーデンタワーとかアークヒルズとか、凄い世界が広がっていて、ずっとキョロキョロしっぱなしであった(@_@;長い歩道橋は怖くて渡れないので、地下通路を上手く駆使しないと、道の反対側へすら行けない。沈

川越氷川神社
4月中旬頃、川越にある氷川神社でお参りした。

御祭神は、素戔嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命・脚摩乳命・手摩乳命。2組の夫婦神が鎮座していることから古くから縁結びの神として信仰されている。毎朝8時より、持っていると良縁に恵まれるといわれる本殿の小石を縫製した縁結び玉が20体配られるため、早朝から行列が絶えない。七夕を含む夏には天の川に想いが届くよう江戸風鈴に願いが書かれた短冊を結わう縁結び風鈴で賑わう。韓国の人気番組『私たち結婚しました』のロケ地となり「縁結びの神様」と紹介されるなど近年は外国人参拝者が非常に増え、英語や中国語など外国語で願いが書かれた絵馬が非常に多い(wikipedia)。 




縁結びの神様は、思っていた以上に多い。この日も、着物を着た女性が大勢参拝していた。何かのお祭りでもやっているのかと思う程であった。ドラマのロケ地だったのか・・・。お祭りか・・・と気をとられていたら、拝殿を撮影するのを忘れてしまった汗





そんな訳で、5月中旬頃、再度お参りに行った。


「縁結び風鈴」と言うのがたくさん飾られていた。










御神木






4月には、裏の公園で、桜がきれいに咲いていた。




築地本願寺
5月上旬頃、築地本願寺でお参りした。



築地本願寺は,浄土真宗本願寺派の関東における拠点である。現在の本堂は,関東大震災の後昭和9年に再建されたもので,設計は東京帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太による。鉄筋コンクリート造であるが,石造風の外観は,インドの古代仏教建築に学んだ細部や要素を巧みに組み合わせている。中央部二階の大本堂は伝統的な真宗本堂の形式を踏襲し,両翼部や一階には議場や説教所,事務室や納骨堂などの諸室を配している。築地本願寺本堂は,インドの古代仏教建築を主たる素材として外観を構成し,内部は日本の伝統的意匠要素を中心に濃密で均整のとれた意匠を達成している。必要な諸機能をひとつにまとめ,最新式の設備を備えるなど近代の設計技術を集合しており,独自の建築様式を追求した伊東忠太による寺院建築の傑作として,価値が高い(文化遺産オンライン)。





以前、フィレンツェで見た大聖堂みたいな建物だ。日本にこんなお寺があるとはねぇ。凄いわぁ・・・と、たくさん写真を撮ったけど、いまひとつ、凄さが伝わらない写真ばかりであった。これもまた難しい。


















昔昔、社会人となって初めて仕事をした会社は、ここから徒歩10分くらいのところだった。近くにこんなに凄いお寺があると言うのに、話題になったこともなかったな(^^;


豊川稲荷
4月下旬頃、仕事へ行く前に、東京・赤坂にある豊川稲荷でお参りした。たくさんの神様がいらして、ふらっと立ち寄って、お参りを終える事は不可能であった。ここだけで、七福神巡りも出来た(写真は不掲載)。毎回言っている気がするけど、こんなに凄いとはね・・・!また、お参りに行きたい。




豊川稲荷東京別院(とよかわいなりとうきょうべついん)は、東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺院である。豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、唯一の直轄別院(飛び地境内)である。大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのを由来とする。また明治以降の赤坂は、料亭や芸者などが集まる花柳界が発展し、芸道を生業とする人々からの信仰も増えた。現在も、ジャニーズ事務所所属タレントをはじめ、著名な芸能人、スポーツ関係者からの信仰を集めていることでも知られ、2月の「節分会」には各界有名人も多数参加する(wikipedia)。
















「叶稲荷」は縁切り専門の稲荷。あらゆる悪縁を断ち切るとされる。




びっしりと掛けられた絵馬に、縁切りの思いが重い・・・。






「融通稲荷」では10円の融通金を自由に持って返ることができ、1年後(または願が適った時)に利子を付けて返納する。





融通金をいただいた。








きつねさんが・・・!







お賽銭だけでなく、お供え物(お団子ようなもの?)を供えて、
熱心にお参りをする若い女性が何人もいた。

浅草神社
4月下旬頃、亀戸天神で藤の花を観賞した後、浅草まで散策した。浅草神社でお参りをした。



浅草神社(あさくさじんじゃ)は、東京都台東区浅草の浅草寺本堂右隣にある神社である。通称に三社権現(さんじゃ ごんげん)、三社様(さんじゃ さま)。5月17日の例大祭は三社祭という。社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・竹成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・竹成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられている。ご神体として前述三氏を郷土神として祀っている。明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した(Wikipedia)。




報道とかで、見聞きしてはいたが、浅草は外国人の観光客でごった返していた。平日だから・・・とかは、無関係だ。














浅草寺へ。多くの神様にお参りして、写真もたくさん撮ったけど、どれもごった返しているので、アップロードは止めておく(^^;









駅まで、こんな感じなんだ。





人力車の呼び込みが、凄まじかった。


神田明神
4月下旬頃、仕事帰りに秋葉原にある神田明神でお参りした。詳しい事を知らずに訪ねたが、「江戸総鎮守」と言う凄い神社であった(調べてから行けってぴのこ:))。


江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神田明神。江戸時代には、「江戸総鎮守」として将軍様から江戸庶民にいたるまで江戸のすべてを守護されました。そして今もなお、東京―神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の町々の総氏神様として、江戸の素晴らしき伝統文化を保ちつつ、それでいて絶え間なく発展と創造を繰り返す、この東京都心をお守りいただいております。神田明神の氏子町である東京108の町は、江戸と東京の生活や文化が凝縮された町々です。御祭神は、「一之宮 大己貴命」だいこく様。縁結びの神様。天平2年(730)ご鎮座。「之宮 少彦名命」えびす様。商売繁昌の神様。「三之宮 平将門命」まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀(公式サイト)。


とにかく煌びやかだ。周辺に鎮座する摂社まで派手派手であった(写真は無し)。この日は余り時間が無かったから、再度、お参りに行ってみたい。








だいこく様尊像


えびす様尊像



春ドラマ ナメコ

TBS日21 小さな巨人 4話

なーんか、
わくわくしないんだよな。



日テレ日22.30 フランケンシュタインの恋 3話

稲庭工務店周辺の人たち、
ラジオ番組周辺の人たち、
良い味を出している☆

展開が上手い。

成田山川越別院本行院
4月中旬頃、川越を散策した際に、成田山川越別院本行院でお参りした。


「お不動様」と親しまれる成田山川越別院本行院。江戸時代末(嘉永6年/1853)に石川照温上人によって、当時廃寺であった本行院を再興し開創。本尊の不動明王は、本堂はもちろん、境内のあちこちにいらっしゃいます。本山は、千葉県成田市にある「成田山新勝寺」。この成田山川越別院は新勝寺の最初の別院でもあります(川越観光情報サイト)。






「亀の池」には、オブジェか?と思うような亀さんがたくさんいらした汗












喜多院の近くにある、日枝神社でお参りした。

円仁(慈覚大師)が喜多院を創建(天長7年・830年)したおりに、その鎮守として貞観2年(860年)に坂本の日吉大社を勧請したものであるといわれている。東京赤坂の日枝神社(旧官幣大社)は、文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城の際に、この川越日枝神社から分祀したものである(赤坂日枝神社もそう記述している)。もともと喜多院の境内にあったが、県道建設のため大正時代に仙波古墳群という前方後円墳を開削して喜多院門前に移転した。御祭神は僧形の大山咋神(おおやまくいのかみ)・大己貴命(おおくにぬし)(wikipedia)。




こちらから分祀したと言うのに、赤坂の方がとても豪華だ。

川越七福神巡り
4月の中旬頃、川越七福神巡りをした。深く意味を知らないけど、わたくしの中では、七福神巡りをするのは「おばさん」のイメージで、これを始めたら正真正銘の「おばさん」だなと思っていた(ずっと前から、正真正銘のおばさんだけど)。本当は縁日である1日に行くと良いそうだが、ま、とりあえず、散歩がてら出発だ。(神様の説明は、小江戸七福神めぐりサイトから引用)




1:毘沙門天 妙善寺

心には勇気決断、くらしには財という、物心ともどもの福を施す神であります。





綺麗な桜が咲いていた。






次の天然寺へ行く途中、仙波氷川神社でお参りした。境内では、ゲートボールをしている方々がいて、「すみませんすみません」と言いながら、うろうろして、写真を撮ったりした。子供の頃は、近所の神社に集合して遊んでいたことを思い出した。






2:寿老人 天然寺

長寿の神様。





お寺は工事中でした。



次の喜多院へ行く途中、中院の庭園を散歩して、



仙波東照宮の前を通って、



3:大黒天 喜多院 へ到着。

くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られます。






喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院。山号は星野山(せいやさん)。良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物はほとんどが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。境内にある五百羅漢の石像も有名である(WIKIPEDIA)。五百羅漢は、538体の石仏が鎮座しているが、写真を撮るのはなんとなく怖くて遠慮した(^^;







4:恵比須天 成田山本行院

漁村では海の神、農村では田の神、山村では山の神、都市では市神、福利を招く神として、商人からも深い信仰が寄せられています。







次の蓮馨寺へ行く途中、熊野神社でお参りした。実に、商魂逞しい雰囲気であった。







5:福禄寿神 蓮馨寺

幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、これを人に与え、方位除災、商売繁昌、延寿福楽等のご利益を現わされる方であります。









次の見立寺へ行く途中、良い感じの川ぞいを歩き、




6:布袋尊 見立寺 へ到着。

未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、昔から崇められてきました。











7:弁財天 妙昌寺

七福神唯一の女神で、弁舌、芸術、財福、延寿を授ける神として、古くから、商人や芸人などの幅広い人々の信仰を集めており、運を開き、福を招く女神です。

「財」の字が入っているから、それだけで金運の神様なのかなと思っていたが、芸術にも関わるのね。琵琶を抱えているしね。



扉が閉まっていて、残念であった。








以上、全行程6kmくらいかな。多くの神様に会い、いろんな所を歩く事が出来て楽しかった。また、気候の良い時に散策してみたい。すっかり川越はお気に入りの街だ(^^ゞ


亀戸散策
4月下旬頃、亀戸天神で藤観賞をしたが、その前に亀戸香取神社でお参りした。


香取神社は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因です。 天慶の昔、平将門が乱を起した際、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、めでたく乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。以来、益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました(当時の葛飾は下総国の大半を意味します)。元禄10年検地の節は、改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡12社の中にも数えられています。香取神社の御祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)は、千早振る神代の昔、畏くも皇祖の神勅を奉じ、鹿島大神と共に豊葦原瑞穂国(日本国)の平定に手柄を立てられた威霊優れた国家鎮護の神として仰がれる、我国武将の祖神です(公式サイト)。







勝石



大黒様と恵比寿様 痛い所に水を掛けてお参りする。





「スポーツ振興の神」だそう。






その後、亀戸天神の藤を観賞、スカイツリーを通過して、牛嶋神社へ。




貞観二年(860年)創建。本所地区の総鎮守で、墨田区のほぼ南半分と大変広い地域が氏子となっています。御祭神は須佐之男命、天之穂日命、貞辰親王命。社殿は総檜権現作りの荘厳にして風格のあるもので、本殿前の木製の鳥居は、中央の鳥居の左右に小さい鳥居の付いた三輪鳥居。江戸時代より牛嶋神社は「牛御前」と書かれ、その名の通り古くから牛にまつわる信仰があります。本殿に向かって右側には「撫牛(なでうし)」があり、自分の体の悪い部分と同じところを撫でると治ると言われています(神社結婚式jp)。


あちこちに牛さん★





「撫牛(なでうし)」


三輪鳥居がなんとも格好良い(←こんな感想しか書けないがf^^;)









墨田川を渡って・・・浅草へ。




浅草の話は、次回へつづく(気が向いたら)。