はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>




亀戸天神社へ、藤の花を鑑賞しに行った。



菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました(公式サイト)。



















藤の甘〜い香りが漂っていたheart


池尻稲荷神社
4月の上旬頃、東京・池尻にある池尻稲荷神社でお参りをした。「嵐にしやがれ」にて大野くんが登場した所で、テレビで見てカラフルで素敵な神社だなぁと、そんな理由で行ってみたf^^; 都会なのに人通りが少なく静かなので、ロケ向きな感じだ。





池尻稲荷神社は、今から350年前の明暦年間(江戸時代の初期)に旧池尻村・池沢村の両村の産土(うぶすな)神(がみ)として創建鎮座になったもので、それより村の共同生活と信仰の中心として現在に至りました。俗信仰としては、古くから「火伏せの稲荷」、「子育ての稲荷」として霊験あらたかと伝えられております。

世にお稲荷様と申し上げている稲荷神社は宇迦之(うがの)御魂(みたまの)神(かみ)《倉稲魂神とも記載する》をお祀りしたものです。今から約1,300年前の昔、和銅4年の2月初午の日に京都伏見の地に稲荷神社が鎮座したのが始まりです。この神は「稲がなる」イナリの別名が示すように五穀の成育や全ての産業を育成する広大な御神徳のある神ですから、あらゆる人々の信仰をうけ、全国各地の神社や邸内に祀られています(公式サイト)。



池尻大橋駅から玉川通りを渋谷ではない方(三軒茶屋の方)へ歩いていくと、突然ドーンと現れる鳥居。真下から撮影した。



わたくしの撮影能力で、カラフルさを表現出来なかった。






塚越稲荷神社
3月下旬頃、塚越稲荷神社でお参りした。蕨駅から徒歩15分位。


塚越稲荷社は、塚越3鎮守の1つで、「東の稲荷」とも呼ばれています。創建年代は明応年間(1492〜1501)と伝えられています。社殿は6メートルほどの塚の上にあり、「塚越」の地名の由来になった塚といわれています。境内には、蕨の織物業を発展させた「高橋新五郎」と妻「いせ」を祀った機(はた)神社や、塚越稲荷社の別当を務め、足立坂東三十三箇寺の33番札所の定正寺(じょうしょうじ)観音堂など様々な文化財が残されています(蕨市サイト)。









夏頃、蕨駅周辺で盛大行われている機まつりは、ここと関連していたのだな。






機まつりとは、
江戸時代末期から塚越村を中心に綿織物業が盛んとなった蕨は、昭和30年代までその生産が行われていました。「機まつり」は、双子織(ふたこおり)などを世に出し、蕨の綿織物業の発展に大きく貢献した塚越村の高橋家5代目新五郎氏が織物業を始めた日だと伝えられている8月7日、織物業の繁栄を願って行われた行事が始まりと言われています(蕨市サイト)。
和楽備神社
3月下旬頃、和楽備神社でお参りした。蕨市役所の近くにある。以前、蕨に住んでいた頃には、全く気が付かなかった。そんなことばかりだな。拝殿は、火事に遭い、建替えたそうでとても綺麗だ。


創建から江戸時代までのことは、別当寺を務めた三学院末成就院が廃寺となり、明らかでない。社伝によれば、室町時代に足利将軍家一族の渋川氏が蕨城を築き、その守り神として八幡神を祭ったのが始まりとされる。一方、「世鏡伝記題臨書」によれば、永正8年(1511年)に鎌倉の住人、成田隼人正が祭ったとする。また、本殿に安置された神体(木造僧形八幡立像)の台座に天正11年(1583年)の文字が薄く残されている。江戸時代に蕨宿が整備されると、「蕨八幡」「上の宮」と呼ばれ、中の宮(宮田 氷川社)、下の宮(荒井前 氷川社)と共に蕨宿三鎮守として重きをなした。明治6年(1873年)村社八幡社に列格、国の管理を受ける(wikipedia)。









五条天神社
3月下旬頃、上野恩賜公園で桜を眺めながら散策をした後、五條天神社でお参りした。

御祭神は、大己貴命(大国主命)おおなむじのみこと(おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。第十二代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の為、上野忍が岡をお通りになられた時、薬祖神(上記の二柱)の大神に御加護を頂いた事を感謝なされて、この地に両神をおまつりなされました(約1890年前)。相殿におまつりしてあります菅原道真公は、寛永十八年(約三百五十年前)に合祀され、歌の道の祖神として俗称下谷天満宮とも云われました。社地は御創祀以来、天神山(今の摺鉢山)瀬川屋敷(アメヤ横丁入口)他、幾度か変遷を重ね、昭和三年九月に御創祀の地に最も近い現地(花園稲荷神社隣り)に御遷座になりました(上野浅草ガイドネット)。











柴又八幡神社
柴又帝釈天へ行った帰り道、歩いていたら見かけた柴又八幡神社でお参りした。検索してみると、ここは古墳のようで・・・。


柴又八幡神社古墳(しばまたはちまんじんじゃこふん)は、東京都葛飾区柴又にある古墳である。東京都葛飾区柴又3丁目にある柴又八幡神社の社殿を中心とした全長30メートルの規模を有する前方後円墳である。築造時期は6世紀後半(古墳時代後期)と推測されている。 石室は横穴式石室であり、石室の石材には房総半島の房州石が使われている。東京低地では唯一の石室を有する前方後円墳である。現在は復元された石室が社殿下に移築・保存されている(Wikipedia)。








柴又帝釈天
3月下旬頃、寅さんで有名な柴又帝釈天でお参りした。京成高砂駅から徒歩15分くらいかな(もっと近くの駅もあるけど)。昔、京急金沢文庫駅を拠点に生活していた時に、急行京成高砂行きの電車によく乗ったものだけど、柴又の近くだったのね。


柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院の通称である。正式名称は経栄山 題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)である。旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった(wikipedia)











足腰を守ると言う御守りを買った。おみくじは大吉だった。



芝大神宮
3月下旬頃、芝大神宮でお参りした。


芝大神宮は、伊勢神宮の御祭神、天照大御神(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神としてお祀りしています。御鎮座は遠く平安時代、寛弘二年(1005年)一条天皇の御代に創建された由緒あるお社です(公式サイト)。


関東のお伊勢さんだな。毎度、同じような感想だが、こんなビジネス街にいきなりどっしりとした鳥居が現れる。健康祈願の他に、縁結びの神様でもあるようで、東京大神宮同様、女性の参拝客が多かった。












スピリチュアル的に凄いと教えて貰ったので、仕事帰りにまたお参りしてみよう。


荒川の桜
9日(日)は雨で、かなり桜が散っている公園内を通ったりしたが、その後も低温の日が続いて、桜は長持ちしたな〜桜


12日(水)には、荒川の桜を眺めに行った。往復10km歩いた。









ぶわぁ〜っと咲いている感じが好き☆


増上寺
3月下旬頃、仕事の昼休み中に増上寺でお参りした。たまに、敷地内を散策するのだが、きちんとお参りしたのは初めてだ。


増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました(公式サイト)。






大門駅方面に歩いて行くと、その名の通り大きな門があった。増上寺の旧総門「大門」だそう。これが駅名の由来だと言う事も知らなかった。