はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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叶神社(西)
かなり前の話。叶神社(東)でお参りした後、叶神社(西)を目指して浦賀駅へ戻った。工事中だと言う事だが、せっかくここまで来たので。浦賀港を船で渡って行けるらしいが、怖いので止めた。



その途中で見かけたお稲荷さん。やはりヤシの木が生い茂っていた。






途中見かけた八雲神社でお参りした。まるでお寺のようだなと思ったら、やはり以前はお寺だった。





祭神は須佐男命です。この社は江戸時代の建物で、当時は、大谷山満宝院八雲堂という修験の寺でした。明治以降、神社に変わりましたが、建物はそのままで、屋根に宝珠が乗る、寺院型式のお堂建築となっています。お堂の格子からのぞくと、修験の護摩壇が見えます。また、向拝(ひさし)には、しっくいで造られた龍が取り付けられ、その後ろに掛かっている刀には、大山信仰の初山競いの武勇伝が伝わっています。東浦賀一丁目の鎮守として、毎年6月に祭礼が行われています(横須賀市サイト)。





叶神社(西)でお参りした。



叶神社(西浦賀)は、誉田別尊と、比売大神、息長帯比売命(神功皇后)を祭神とする。

伊豆国で配流の身だった源頼朝と知遇を得た北面武士出身の僧・文覚が、源氏再興のために養和元年(1181年)石清水八幡宮を当地に勧請し創建、源氏再興成就した頼朝が文治2年(1186年)に叶大明神と尊称したと伝えられる(Wikipedia)。



鳥居


浦賀ペリー歯科って(^^;

仮殿で手を合わせた。







工事中



写真で見ると素敵だったので、また来てみたい。
叶神社(東)
10月中旬頃、横須賀市浦賀に鎮座する叶神社(東)でお参りした。



叶神社(かのうじんじゃ)は神奈川県横須賀市浦賀地区にある神社。浦賀港を挟んで2社ある。 勧請した石清水八幡宮と同様、共に、誉田別尊(応神天皇)など八幡神を祭神とする。叶神社(西浦賀):通称、西叶神社。叶神社(東浦賀):通称、東叶神社(以下説明はWikipediaと横須賀市サイト)。

叶神社(東浦賀)は、正保元年(1644年)に西浦賀の叶神社を勧請して創建された。明治になるまでは、耀真山永神寺と呼ばれる真言宗醍醐派寺院を別当としていた。



鳥居


鳥居を撮影している場所で後ろを振り返るとすぐ海だ。


拝殿


歴史を感じる雰囲気だ。





-明神山:浦賀城跡-
東叶神社拝殿の左側から始まる200段を越える石段(恵仁志坂・産霊坂)を登りきった山頂の正面にある奥宮は、小さいながら立派な彫刻のある本殿でしたが火災により焼失しました。現在の本殿は、創建八百年を記念して昭和56年(1981)に再建されたものです。奥宮の近くには東照宮や神明社があります。


階段を上って・・・


上って


上って


勝海舟が咸臨丸出航前に、当地で断食修行をしたと伝えられ、社殿裏の階段を登ると記念碑が建てられている。


階段を上った事に疲れ果て、色々な写真を撮り忘れてしまった。翌日から謎の筋肉痛に襲われて3日位治らなかったのは、この階段昇降のせいだろうな。





狛犬さん 年季が入っている




ヤシの木が生い茂っている さすが海沿いだ


石垣に開いた祠の奥には石の弁才天が祀られています。祭神は「厳島媛命」で、海難その他の難事の際に、身代わりとなって人々を救う「身代わり弁天」として祈願されています。






永勝不動尊:旧永神寺の本尊




社務所の裏に井戸があります。幕末に、遣米使節の護衛艦となった咸臨丸の艦長として、太平洋横断を成し遂げた勝海舟が、航海前にこの井戸で水垢離をした後、山頂で断食したと伝えられています。






近頃、海の無い埼玉に住み慣れたからか、海辺を歩いていると吸い込まれそうで怖い・・・。

走水神社
かなり前の話。2018年10月中旬頃、横須賀市走水に鎮座する走水神社でお参りした。京急馬堀海岸駅からバスで10分くらい。


当社の創建年代等については火災などにより明らかでないが、言い伝えでは日本武尊が東征の途上に当地から浦賀水道を渡る際、自分の冠を村人に与え、村人がこの冠を石櫃へ納め土中に埋めて社を建てたのが始まりという。 『古事記』『日本書紀』では、日本武尊が相模から上総に向かった際にどこを通ったか具体的な地名についての言及はないが、『日本書紀』は、景行天皇53年10月条に景行天皇東国巡狩のことを載せ、海路より淡水門に渡ったと記されている。この際も地名は記されてはいないが、律令制の東海道は当地から浦賀水道を渡って上総国に入ることから、景行天皇は当地から淡水門に向かったとし、日本武尊を追慕しその通った道筋を追ったのであるから、日本武尊の東征において浦賀水道を渡る際も当地を通ったともしている。 上総国へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めた。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めたとされる。この社が弟橘媛を祀る橘神社であったが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になり走水神社境内へ移され、その後明治42年(1909年)に合祀された(wikipedia)。



鳥居 お祭りの準備中であった


狛犬さん 面白い




拝殿へ向かう階段


拝殿 残念ながら全体像が撮れないが歴史を感じる佇まいだ







目の前は海だ


裏山に鎮座する境内社 三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)



コンクリートブロックのようなものを重ねている







別宮:弟橘媛命に殉じた侍女を祀る




水神社(河童大明神):走水に伝わる河童伝説に因んで祀られる




お稲荷さん


機械水雷:1910年に奉納された、日露戦争戦利品のロシア製機械水雷



河童みくじ  この河童の中に、おみくじが入っていた。


杉山神社
かなり前の話。2018年10月上旬頃、港北ニュータウン方面に仕事へ行った帰り道、杉山神社でお参りした。この辺りには多くの杉山神社が鎮座しているらしい。菊名から横浜アリーナへ行く途中にも鎮座していた。あそこも港北区だったかな。



「大棚・中川 杉山神社」は、平成6年(1994年)に現在の中川6丁目1番地、センター北駅西側に建立されました。港北ニュータウンの中心部にあり、新しい社殿と境内を持つため、歴史の浅い神社と思われる方も多いのですが、実は平安時代から続くとされる神社なのです。杉山神社の名前が最初に日本の歴史書に現れるのは平安時代初期に編纂された『続日本後記』 杉山神社は由緒正しい式内社のひとつとされる神社です(公式サイト)。


ご祭神
五十猛命(いたけるのみこと)は、日本神話に登場する神様で素戔嗚(スサノオ)の子とされています。五十猛命は日本全国に樹木の種を播き、樹々豊かな国土を作ったという神話があり、木の神とされています。
日本武尊(やまとたけるのみこと)は、日本の古代伝説の代表的英雄で、景行天皇の皇子とされています。九州の熊襲討伐など数多くの伝説が残されています。



鳥居  丁度お祭りであった。


年季が入った狛犬さん





拝殿







少し歩いた所に鎮座している杉山神社でもお参りした。こちらは、茅ケ崎杉山神社と言われる事もあるそうだ。



杉山神社は本源の所在不明。現在、横浜市内に「杉山神社」と称する神社は41社。また新編武蔵風土記稿に72社、うち都筑郡24社の記載がある。杉山神社の分布はいずれも鶴見川の本流、並びに支流ちかくに鎮座している。

なお杉山神社のうち五十猛命を祭神とするのは「杉山」と植林の神としての五十猛命の神格が結びついたものであり、日本武尊を祭神とするところは、東征伝説から付会されたものであるとされ、多くの杉山神社が五十猛命もしくは日本武尊を祭神として祀っている(都筑区サイト)。



武蔵国茅ケ崎杉山神社 


鳥居


やはり階段を上がる


拝殿


お稲荷さん





階段を下る



愛宕神社並みの階段であった。出世しないかな。

四谷怪談
かなり前の話。2018年10月上旬頃、四谷怪談と関連がある於岩稲荷於陽運寺と於岩稲荷田宮神社でお参りした。



四谷怪談(よつやかいだん)とは、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談。江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)が舞台となっている。基本的なストーリーは「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名である。怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されているため、さまざまなバリエーションが存在する。

四谷左門町には於岩稲荷田宮神社と於岩稲荷陽運寺が、道を挟んで両側にある。また、中央区新川にも於岩稲荷田宮神社がある。


四谷の於岩稲荷田宮神社(田宮家跡地)は明治12年(1879年)の火災によって焼失して中央区新川に移った。新川の於岩稲荷田宮神社は戦災で焼失したが戦後再建され、また四谷の旧地にも再興された。また、陽運寺は昭和初期に創建された日蓮宗の寺院であるが、境内に「お岩さま縁の井戸」がある。元々は於岩稲荷田宮神社が中央区新川に移転した際、地元の名物が無くなって困った地元の有志が「四谷お岩稲荷保存会」を立ち上げ、この時、本部に祀ったお岩尊という小祠が大きくなったのが陽雲寺の成り立ちである。お岩稲荷が複数もできる要因としては単純に儲かるから。歌舞伎俳優は元より、お岩の浮気に対して見せた怨念から、男の浮気封じに効くとして花柳界からの信仰を集めたため、賽銭の他に土産物などで地元経済が潤ったからである(Wikipedia)。




先に、縁切り寺としても知られる陽運寺でお参りした。

入口



狛犬さん 右側が口を閉じている





拝殿




福禄寿?



心願成就の石 叶石を買って入れる



お稲荷さん




水かけ福寿菩薩




お岩さま縁の井戸




入口付近に佇む大黒さま



それほど広くない敷地がきちんと整えられていて、お参りをすると気分的にすっきりとしそうではある。




次に田宮神社でお参りした。







賽銭箱の上に、数種類のお守り(紙)が置いてあり、気分に合うものを1枚いただく。



参拝客が多く、賑わっていた(たまたまだと思うけど)。



少し歩いて、金丸稲荷神社でお参りした。


荒木町一帯は、江戸時代には美濃国高須藩藩主・松平義行の屋敷があったところであった。荒木町北辺に接している津の守坂通りも、義行(摂津守)の名が由来となっている(Wikipedia)


美濃国高須藩主・松平義行の屋敷の守護神だったらしい。







小さい社だけど、祠の彫刻に狐さんがいたり、なかなか雰囲気がある。



成子天神社
かなり前の話。2018年9月中旬頃、新宿・成子天神社でお参りした。新宿駅から徒歩10数分くらいかな。


創建は延喜3年(903年)。当時、菅原道真が死去し嘆き悲しんだ家臣が道真の像を大宰府から持ち帰り祀ったのが始まりであるという。その後鎌倉時代、源頼朝により社殿が造営された。しかし江戸時代に入り寛文年間に起きた火災によりそれまでの記録や社宝などが焼失してしまい、現在地に移転。その後第二次世界大戦中にも空襲により社殿が焼失している。1966年に鉄筋コンクリート製の社殿を造るも、老朽化のため2013年境内に高層の分譲マンション・賃貸マンション・神社施設を新たに建築して現在に至る。付近が新宿新都心の高層ビル街に変わった現在も、周辺の人々から信仰を得ている。祭神は菅原道真(Wikipedia)。



2013年建築だけあって、見るからに新しい空気が漂う。

鳥居





拝殿


本殿の向こうには、マンションやビルが。


狛犬さん 愛嬌がある。






境内末社

富士塚(成子富士)
神社境内にある富士塚。高さは約12メートルで大正9年(1920年)に作られたもの。新宿区内では最大規模。山頂には木花咲耶姫命の像がある。2011年3月11日の地震により北側斜面に落下し、浅間社前に立て直された(Wikipedia)。





木花咲耶姫命さん




白い彼岸花が咲いていた時期だ。


牛さん


古い鳥居の額 参道に置かれていた。





敷地内に七福神像が点在している。写真は、弁財天さまのみで。



熊野神社・祭り
かなり前の話。2018年9月中旬頃、新宿・熊野神社のお祭りに行った。




弁財天さまも綺麗に整えられていた。


白菜なんかも供えるんだな。



その後、成子天神社でお参りした後、新宿駅に戻ったら、たくさんのお神輿と出会った。




仕事始め
仕事始めの日に、出勤前に新橋・烏森神社でお参りした。今年も普通に仕事を進める事が出来ますように。






仕事帰りに、愛宕神社でお参りしようとしたが、拝殿前迄行ったら行列していたので、遠くから手を合わせて退散した。


つくづく凄い出世の階段




その後、虎ノ門近くに鎮座する金刀比羅宮でお参りした。以前にもお参りした事があるけど、



金、金、金と書いてあるが金運押しだったかな。






境内社

結神社 単純になんとなく縁起が良さそうだ。赤い紐がたくさん結ばれている。





喜代住稲荷神社





つくづくビルと一体化している。







先週金曜の仕事終わりに、やっと愛宕神社でお参り出来た。


御守り、おみくじ売り場は、行列していたのでまたそのうち立ち寄ってみよう。仕事帰りにいつでも参拝出来ると思うと行列はパスだ。

2019年 達磨さん
1月1日に、実家へ帰る前、まあまあ近所の大谷場氷川神社でお参りをした。



昨年は、新年が明ける直前に行列して達磨をいただいたが、今年は夜中には行かなかった。でも、昨年いただいた達磨さんをお返ししようかと。お願いした「東京マラソン完走」の目標を達成出来たのでf^^;















おみくじは、大吉だった。

多摩川浅間神社
ドラマ「大恋愛」で、時々登場していた多摩川浅間神社。今年の1月にお参りしたけど、再びお参りした。やはり美しい。



紅葉も☆



多摩川の風景も美しい☆


うっすら富士山?





ドラマは、個人的にナオ母草刈さんと松岡が結婚した事がピークだったな。ナオ母草刈さんは50歳過ぎても美しいウェディングドレス姿で、それを堂々と迎えた松岡も格好良かった。