はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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新宿 熊野神社
11月下旬頃、新宿へ行った際に、十二社 熊野神社でお参りした。


熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都新宿区西新宿二丁目にある神社。新宿総鎮守として知られている。当神社は中野長者と呼ばれた室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎によって応永年間(1394年 - 1428年)に創建されたものと伝えられている。(天文・永禄年間に当地の開拓を行った渡辺興兵衛という人物が祀ったという異説もあり)鈴木九郎は代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた。鈴木九郎は当初自身のふるさとである熊野三山の若一王子を祀ったところ、商売が成功し家運が上昇したので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされている。かつて存在した付近の地名「十二社」(じゅうにそう)はこれに因んでいる。この地名は現在でも通り(十二社通り)や温泉(新宿十二社温泉)の名などに見られる。祭神は櫛御気野大神・伊邪那美大神(wikipedia)。



なでしこジャパンがワールドカップを制した時、出発前にここでお参りした事で有名らしい。西新宿のこの辺りへ足を運んだのは初めてかも。新宿公園から別世界が広がっていた。


勝運の神様と言う強そうな佇まいだ(思い込みかも)。





末社大鳥神社


面白い狛犬さんだ





胡桃下稲荷神社



他にも見所満載であった。敷地内はとても綺麗にされていて、外国人参拝者も大勢いた。

三崎稲荷神社
12月上旬頃、東京ドームへ行く前に、JR水道橋駅近くに鎮座する三崎稲荷神社でお参りした。


創建は建久(12世紀末)以前とされています。氏神社の社号は三崎稲荷神社ですが、金刀比羅神社を合祀しているため、三崎神社と通称されています。創建当初は和田倉付近にあり、その後三崎村に移転、万延元年(1860)講武所の設置に伴って水道橋に移転し、甲武鉄道(現JR中央線)が万世橋まで延長されたのに伴い明治38年(1905)現在の地に移りました(千代田区観光協会)。

色付いた銀杏も映える、美しい神社であった。






手水舎も立派だ。





後楽園駅方面へ行った所に鎮座する金比羅宮 東京分社でお参りした。

文政2年、板橋 市左衛門の邸内祠として祀られたのにはじまり、明治13年、神社として認められ、明治21年に当宮境外末社に加えられました。明治23年には神田和泉町にあったものを、深川古石場町に移転、「深川のこんぴらさん」として親しまれていました。しかし、昭和20年、戦災にあい建造物を焼失。讃岐高松藩の邸内社として奉斎されていた水道橋金刀比羅神社と深川のこんぴらさんを合わせ祀り、昭和39年、文京区本郷に遷座。以来「水道橋のこんぴらさん」として親しまれています(公式サイト)。


面白い顔の狛犬さんだ





拝殿の雰囲気は、先にお参りした三崎稲荷神社と似ているような。








隣に鎮座している水道橋稲荷神社でもお参りした。



日本刀
東京・深川に鎮座する富岡八幡宮で起きた宮司殺害事件。凶器は日本刀。姉弟における確執の果て、らしい。


いろんな記事を読んでみたが、兄弟げんかだけでなく、神社本庁が女性宮司を認めていない問題もあるみたいだ。わたくしは、今年に入って急に神社仏閣巡りに興味を持ったばかりで、まだ、深い事はよくわからないけど・・・。



10月に参拝した富岡八幡宮




結局、自分も死んでしまうなら、誰も巻き込むことなく、静かに人生を終えれば良いのになと、こう言う事件が起こる度、思う。

巣鴨から王子へ
11月25日に、東京・南千住で開催されていた靴祭りで買い物をした後、素盞雄神社でお参りをした。その後、三ノ輪まで歩いて都電荒川線に乗って、庚申塚駅で下車。巣鴨方面へ歩いて行き、高岩寺でお参りした。有名なとげぬき地蔵は行列していたのでパスして、更に巣鴨駅へ向かって歩いていると、大きなお地蔵様が。


江戸六地蔵尊の一つとして知られるこのお寺は、真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺と申します。起立年代不詳。元和元年(1615年)境内には松尾芭蕉の句の石碑があります。大きな傘をかぶり、杖を持つお地蔵様。江戸の六街道の出入口に置かれ旅の安全を見守ってくれました。 (巣鴨は中山道の出入り口でした)関八州江戸古地図、江戸絵図ほか多くの文献から眞性寺界隈は交通の要として賑わっておりましたことが伝わっております(商店街サイト)。







六義園へ向かって歩いて行ったが、入場券を買う為に行列していたのでパスして、駒込駅へ向かう。JR駒込駅前に鎮座する大国神社でお参りした。

天明3年(1783)に、当大島家の先祖が、現在の地におまつりしたもので、明治12年(1879)、当時の大総代 細川潤次郎男爵の協力を得て神社としての形を整え、現在に至っています。当神社は氏神様をお祀りするお社ではなく、個人的な信仰対象としてのご祭神オオクニヌシノミコトをお祀りする、いわゆる崇敬神社です(公式サイト)。






こじんまりとしているが、清潔で美しい。



その後、王子駅を目指して歩いた。途中、やはり入口で行列していた旧古河庭園を素通りして、北区西ヶ原付近七社神社でお参りした。こちらは以前にも、お参りに来た事があるが、秋らしい佇まいで落ち着いた雰囲気が素敵であった。







無事、王子駅迄歩く事が出来た。早起きすると、一日中、楽しめるよなf^^;

素盞雄神社
11月25日、靴祭りへ行った後、素盞雄神社でお参りした。


素盞雄神社(すさのおじんじゃ)は、東京都荒川区南千住にある神社である。地元では天王様と呼ばれている。延暦14年(795年)役小角の弟子・黒珍が、牛頭天王・飛鳥権現の二柱の神が降臨した奇岩を祀って創建したと伝えられる。創建以来、二柱を別々の社殿に奉斎していたが、享保3年(1718年)焼失し、同12年に瑞光殿を建築して合祀した。古くから疫病除けで知られ、安政5年(1858年)江戸にコレラが流行した際は疫除守を求めて参詣者が群れ集まった。明治初期の廃仏毀釈により祭神名を素盞雄大神・飛鳥大神へ改め、社名も素盞雄神社へ改称した(Wikipedia)。





堂々たるお姿、敷地内に力強い雰囲気が漂っていた気がする。


迫力満点な狛犬さん




瑞光石<ずいこうせき>と読みます。御祭神すさのお大神・あすか大神が光を放ち降臨した小塚の中の奇岩を「瑞光石」と言います。 文政12年(1829)編纂の「江戸近郊道しるべ」には、千住大橋架橋の際、この瑞光石の根が大川(現隅田川)まで延びていた為に橋脚が打ち込めなかったという伝承が紹介されています。この小塚から「小塚原」の地名が起こり、「江戸名所図会」には「飛鳥社小塚原天王宮」と紹介され、弁天様を祀る御手洗池・茶屋など当時の情景をも窺うことができます。 元治元年(1864)には富士塚を築き浅間神社を祀り、門前の茶店では疫病除けの麦藁の蛇が土産に売られるなど、富士参りの参詣者で賑わいました。









他にも見所満載であったが、このくらいで。

かく護稲荷神社
11月上旬頃、銀座八丁巡りをした時に、銀座シックスの屋上にある峺邂隹擔声劼任参り出来なかった。高い所が苦手で屋上の角迄、怖くて行けなかったから。でも、夜なら暗いから大丈夫かも・・・って事で仕事帰りに行ってみた。夜にお参りをするのは余り良くないらしいけど。


銀座シックスの屋上にある峺邂隹戮蓮旧松坂屋銀座店の屋上に祀られたのは1929年だ。由緒によれば、1815年、松坂屋を創業した伊藤家が伏見稲荷を現在の荒川区東日暮里に勧請した。松坂屋屋上の祠は、ここからさらに分祀されたものだ。当時、松坂屋は何度か火事にあっており、そのため峺邂隹戮浪佗せの神とされる。そして、松坂屋銀座店が銀座シックスとなった後も、峺邂隹戮楼き継がれたのである(PRESIDENT Online 引用)。



やっぱりちょっと怖かったが、どうにか辿り着けた。身辺のいろいろな事が火を吹かないように・・・。








銀座はキラキラであった☆




靴祭り
11月25日に「靴のめぐみ祭り」へ行った。

靴のめぐみ祭り市は、玉姫稲荷神社の氏子の靴メーカーが「靴まつり」として靴のめぐみを感謝し、行っている市です。30数社のメーカーにより市価の6割〜8割引き価格で、約10万点以上の品が安価で販売されます(TAITO おでかけナビ)。




大混雑の中、どうにかレインシューズを買った。自分のサイズがあったし、安かったし行った甲斐があった。そして、玉姫稲荷神社でお参りした。

社伝に天平宝宇四庚(760年)の創建とあり、享保年間に出版された『江戸砂子』に「新田義貞朝臣、鎌倉の高時を追討のみぎり、弘法大師の筆の稲荷の像を襟掛にしたまひしを、瑠璃の宝塔にこめて当所におさめまつり給ふ。故に御玉ひめの稲荷と申のよし。」(東京神社庁)


拝殿の前に、抽選会場を設けており、大行列していたが、お参りする列ではなかった。






敷地内に鎮座している口入稲荷神社でもお参りした。

「口入れ」とは「仕事を斡旋する」という意味。口入稲荷にお参りすれば、狐(お稲荷さん)が良い働き口を探してくれるといいます。まさに就職祈願にもってこいの神社ですね。ちなみに口入稲荷神社は、「玉姫稲荷神社」の境内にあります。玉姫様は「恋愛の神様」として有名ですので、恋愛運も気になる方は、こちらもあわせてお参りしてみてはいかがでしょうか(外資就活サイト)。









初めて下車した南千住駅は、電車は複数路線乗り入れているが、町自体はなんとも説明し難い雰囲気だった。昼食をとろうにも、店が少ない・・・。よって、どこも満席。諦めて、先に次の目的地、素盞雄神社へ行こうかと歩いている途中で、喫茶店を見つけてどうにか昼食に辿り着けた。

普通のミートソースって、久し振りに食したな♪


デザート付だ



色付く4
11月30日、月末の仕事へ行く前に東京・文京区にある肥後細川庭園を散策した。護国寺駅から歩いたが、江戸川橋駅からの方が近かったようだ。


当地一帯は江戸時代中頃まで幕臣の邸宅があったところであった。その後、幾度かの所有者の変遷を経て、幕末に細川家の下屋敷になり、明治時代には細川家の本邸となった。1960年に東京都が当地を購入し、翌年には公園として開園。1975年、文京区に移管されて現在にいたる。当地付近は目白台からの湧水が豊富な地点で、その湧水を生かした回遊式泉水庭園を主体とした公園となっており、江戸時代の大名屋敷の回遊式泉水庭園の雰囲気を現在でも楽しむことが出来る(Wikipedia)。









夜はライトアップイベントなどもやっているみたいだ。都内にも美しい庭園が、あちこちにあるものだな。広い庭園などは、どこを切り取って撮影するのか、センスが問われると思うが・・・難しい。




庭園の隣に鎮座していた水神社でお参りした。

いい伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立って、「我水伯(水神)なり、我をこの地にまつらば堰の守護神となり、村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたため、ここに水神を祀ったという。日本最古の神田上水は徳川家康の命により大久保藤五郎によって開かれた。井の頭池を水源とし、神社の前を流し、すぐ下流の大滝橋あたりに堰を築き、水位を上げて上水を水戸屋敷に入れ、樋(とい)で地下を神田や日本橋方面に流した(文京区サイト)。

巨大過ぎる銀杏の木が圧巻であった。








そして、長ーい階段を上がって帰る・・・。



色付く
朝は冬並みの寒さだったりするが、近所の紅葉は・・・12月上旬あたりからなのかな・・・とか思っていた。


一昨日、大宮の氷川神社方面へ、運動がてら歩いていたら、かなり色付いていた。









その後、浦和方面へ歩いている途中、与野付近に鎮座する下落合氷川神社でお参りした。

下落合氷川神社の創建の由来は、何時の時代に氷川神社が現在地に存在したのか、定かではありませんが、縄文海進の頃に中央区役所のある辺り一帯が、奥東京湾の入り江として海辺の生活をしていた気配があります。次第に寒冷化が進み東京湾が縮まっても何らかの原因で、鴻沼一帯に汽水湖が残され其れを囲んで何箇所も弥生の遺跡が点在し、下落合氷川神社敷地の辺りに弥生の住居跡が確認され、弥生土器の発展型である須恵器の中でも神祭りに使用されたと思われる、高坏とか瓶などの破片が出土し古墳時代には何らかの宗教行事が執り行われていたようで、笠森神社遺跡として確認されております(公式サイト)。




江戸散策
10月下旬頃、東京マラソンのコース内で、馴染みが無い道の一部を歩いてみた。

水天宮前駅をスタートして、東日本橋、浅草橋、蔵前、浅草雷門で折り返し蔵前に戻り、蔵前橋を渡って隅田川を越え、両国、森下、清澄白河、深川、門前仲町に到着してこの日は終了。凄い歩いた気分だったが、僅か10kmくらいなんだな。知らない道は長く感じるものだ。本番当日、ここまで走って来られるかは微妙だが、とりあえず散歩は楽しかった。



まずは、水天宮でお参りした。

水天宮(すいてんぐう)は、東京都中央区日本橋蛎殻町にある神社。福岡県久留米市にある久留米水天宮の分社である。水と子供を守護し、水難除け、漁業、海運、農業、水商売、また安産、子授け、子育てについて信仰が厚い。御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)。江戸鎮座200年記念事業として社殿の建て替えを行った。平成28年4月8日より新社殿への参拝者の受け入れを開始した(Wikipedia)。江戸時代、久留米藩主の有馬頼徳が三田(現在の港区)の江戸屋敷に分霊を勧請したのがはじまり。当時、一般人は参詣できなかったが、江戸っ子たちの信仰は次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が絶えなかった為、5の日に限って屋敷を開放されました。現在でも、毎月5日と戌の日の水天宮の縁日で開帳されています(じゃらん)。


やけに綺麗だなと思ったら、昨年建替えをしたんだな。



丁度、観光バスが到着した時で、大勢の参拝客がいらした。





安産子育河童
足下と胸、肩に赤ちゃん河童がしがみついている姿が印象的な、仲睦まじい河童の親子像。




寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)
江戸の頃、有馬家上屋敷内には市杵島姫(いちきしまひめ)神も祀られていました。代々の当主は辨財天を篤く信仰し、第九代藩主 有馬頼徳公が寳生流能楽の技を加賀藩の前田斉広(なりなが)公と競う際、稽古に励み辨財天に願をかけ、勝利をおさめたといいます。学業・芸能、又「寳生」の名のごとく財福のご神徳がございます(公式サイト)。


艶やかだ。









ビルの2階部分に鎮座している。





東日本橋駅付近で見かけた矢之庫稲荷でお参りした。江戸時代、この周辺に幕府の米蔵があったことから、それを守る為に建立されたらしい。






蔵前駅から浅草雷門を目指していた時に見かけた駒形堂でお参りした。

駒形堂は、浅草寺のご本尊である観音像が、隅田川から引き上げられた地に建立されたお堂です。馬頭観音が祀られていることから「駒形」の地名の由緒ともなっています。現在の堂は平成15年(2003)に再建されたものです。ご本尊顕現の地のため、お堂周辺の十町余りの川筋は魚介殺生禁断となり、戒殺碑が建立されました(台東区サイト)。








両国駅付近を通過した時に見かけた榛稲荷神社でお参りした。

榛稲荷神社はんのきいなりじんじゃ
このあたりは、榛馬場とよばれた馬場のあったところで、東西102間(約185m)南北12間(約22m)ありました。馬場を囲む土手に大きな榛があったところから、この名がつけられたのでしょう。この馬場は本所に住む武士の弓馬の稽古を目的としたものです。この馬場の傍らに祀られていたのが榛稲荷神社です。この神社には天保8年(1837)亀沢町の若者中が奉納した1対の木製朱塗りの奉紙立が現存しています(墨田区サイト)。







最後、門前仲町駅を目指していた時に見かけたえんま堂でお参りした。

法乗院(深川えんま堂)は、1629(寛永6)年創業という真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺。平成元年に建立の閻魔大王座像は、寄木造で、高さ3.5m、幅4.5m、重量1.5tという巨大な閻魔様。名実ともに日本一の閻魔大王像になっています。しかも、この閻魔大王像、コンピューターで制御。大王像の前に、「家内安全」、「交通安全」、「夫婦円満」、「合格祈願」、「ぼけ封じ」、「いじめ除け」など19のご祈願が別個に記された、賽銭の投入口が用意され、自らの希望するご祈願に賽銭を入れると、仏様の様々な説法が音声で流れるシステム。閻魔大王の「除けと封じ」の力を生かしたものとかで、こちらも日本初のユニークな機能となっています(東京とりっぷ)。




お賽銭を投入したら、仏さまが大きな声で喋りだしたので驚愕(◎_◎)!!そう言うシステムだとは知らなかったので・・・。動揺してしまい、何を言われたのか、全然頭に入ってこなかったf^^;



「東京」と言うよりは「江戸」と言った方が馴染むようなコースだった。