はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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高幡不動尊
6月中旬頃高尾山薬王院へ行った帰り、タローさんは、高尾山口駅にある温泉に入って行きたいと言うが、わたくしは着替えや化粧品を持っていないから行かないと言うことで、高尾山口駅で解散した。帰り道、高幡不動駅で下車して、高幡不動尊でお参りした。



金剛寺(こんごうじ)は、東京都日野市高幡にある真言宗智山派別格本山の寺院。高幡不動尊の通称で知られる。本尊は大日如来。高幡山明王院金剛寺と号する。草創は古文書によれば大宝年間(701 - 704)以前とも、奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、寺伝によれば平安時代初期に円仁(慈覚大師)が清和天皇の勅願により東関鎮護の霊場を高幡山山上に開いたのが始まりとされる。江戸時代、真言宗関東十一檀林の談義所として、多くの学僧を輩出している。以来、「高幡のお不動さん」と呼ばれ人々の信仰を集めており、毎月28日の縁日には多くの参詣者で賑わう(wikipedia)。


仁王門


不動堂


奥殿


五十塔


稲荷社



敷地内は、紫陽花で溢れていた。





途中で赤く色が変わる山あじさい(だったと思う)





紫陽花開花中と言う事で、かなり混雑していた。山内八十八ケ所巡拝路なんて言うのもあり、ゆっくり歩いてみたいが、これからの季節だと暑そうだな(^^;


高尾山薬王院
6月中旬頃、高尾山薬王院でお参りした。前からお参りに行って見たかったけど、やっと叶った。山全体が参道のような感じで、歩いているだけで心身が浄化されていくような感じだ。



(以下説明分はWikipediaより
高尾山薬王院(たかおさんやくおういん)は、東京都八王子市の高尾山にある寺院。真言宗智山派の関東三大本山のひとつである。 正式な寺名は高尾山薬王院有喜寺だが、一般には単に「高尾山」あるいは「高尾山薬王院」と呼ばれる。天平16年(744年)に聖武天皇の勅命により東国鎮護の祈願寺として、行基菩薩により開山されたと伝えられている。その際、本尊として薬師如来が安置されたことから薬王院と称する。永和年間(1375年 - 1379年)に京都の醍醐寺から俊源大徳が入り、飯縄権現を守護神として奉ったことから、飯縄信仰の霊山であるとともに修験道の道場として繁栄することとなる。

飯縄権現(いづなごんげん、いいづなごんげん)とは、信濃国上水内郡(現 長野県)の飯縄山(飯綱山)に対する山岳信仰が発祥と考えられる神仏習合の神である

大本堂
開山本尊:薬師如来
中興本尊:飯縄権現
薬王院の中心となる本堂で、薬師如来と飯縄権現を祀る。現在の堂宇は1901年(明治34年)に建立されたものである。彩色は施されていないが、彫刻で装飾されている。








本社(権現堂)
本尊:飯縄権現
薬王院の中心となる本社で、飯縄権現を祀る社殿(神社)である。現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立され、1753年(宝暦3年)に幣殿と拝殿が建立された。のち1805年(文化2年)・1965年(昭和40年)・1998年(平成10年)に大改修を行なっている。江戸時代後期の代表的な神社建築で1952年(昭和27年)に東京都指定有形文化財に指定されている。入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ権現造である。社殿全体に華麗で極彩色の装飾がなされていることが特徴である。社殿前方には鳥居があり、神社であることが分かる。寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえるだろう。







たくさんの神様にお参りして、写真も撮ったけど、これくらいに。途中までケーブルカーに行ってしまうと、登山と言うよりは、ちょっと坂道がある散策道って感じかな。道もしっかり整備されているし。






昼食には、名物だというとろろ(自然薯)そばを食した。いかにも身体に良さそうで、美味しかった♪








帰り道、氷川神社でお参りした。

高尾山口駅近くにある「氷川神社」は応永年間(1394〜1428)に片倉城主大江備中守師親が武蔵一の宮氷川神社の祭神を勧請したのが始まりと言われております。古くは下椚田村大牧(椚田町)にあったと伝えられ、寛文2年(1662)に再建されました。現在は高尾地区の鎮守として地元の方に崇敬され、8月の第3土日の祭礼では、神輿の巡行や獅子舞の奉納が行われております。氷川神社はご神徳のおかげで縁結び五穀豊穣のご利益があると伝えられているのです。






七社神社
6月中旬頃、東京・王子と上中里の間付近にある七社神社でお参りした。



七柱の神々を祀ることが社名の由来です。明治時代以前には、旧古河庭園内に祀られていましたが、明治初年に一本杉神明宮の現在地に遷座しました。大鳥居前に一里塚(日本橋より2里目)があり、旅人の守護神としての信仰もあります(北区神社めぐりより)。御祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命、天児屋根命、伊斯許理度賣命、市寸島比賣命、仲哀天皇、応神天皇。










ー茅の輪の由来ー茅の輪(茅草で作られた大きな輪)は、正月から六月までの半年間の罪穢を祓う夏越の大祓に使用され、それをくぐることにより、疫病や罪穢が祓われるといわれています。






大きな輪の中をぐるぐるとくぐりました。


ご神木







王子駅周辺の紫陽花





身曾岐神社
小淵沢駅から車で5分くらいの所にある身曾岐神社でお参りした。
(以下、説明文は公式サイトより抜粋)


天地と共に生き合い、自然を教典とする“いのちの信仰”古神道、千載にわたり白川神祇伯王家に伝えられてきた“神ながらの道”。 神道中興の祖・井上正鐵への神伝を経て、その真髄をことごとく相承する身曾岐神社。東に世界遺産にも登録された霊峰富士、南に甲斐駒ケ岳を眺望し、日本列島の中立に屹立する八ヶ岳の南麓、約12万平方米におよぶ自然豊かな青緑の地に定めた万象調和のまほろば「高天原」。そこに古神道本宮・身曾岐神社は鎮座する。わが国で唯一、「古神道本宮」の名を冠し、日本の伝統精神文化の原点を正しく伝承する社として、その神殿群は清々しく甍を連ねている。


古神道の神学、「神は火水なり」を具現した火祥・水祥の両殿。







匠たちの伝統の技が惜しみなく注がれた神明造りの本殿。
真っ白な砂利が綺麗で、全体的に漂う空気が清らかな感じだ。まさに、身を清められそうな空気感だ。



東域には日本伝統文化の象徴として、神池に浮かぶ能楽殿。
auのCMにも使われている。幻想的でとても美しい。






ゆずと関係があるそうだね。











「高天原の芯」は、一般公開されていないとの事で残念であった。

赤羽八幡神社
5月中旬頃、赤羽八幡神社でお参りした。

赤羽八幡として知られ、昔の赤羽村、下村、袋村、岩淵宿、稲付村の惣鎮守でした。伝説では、延暦3年(784)に征夷大将軍の坂上田村麻呂が東夷征伐の折、この地に陣を取り、遙かに八幡三神を勧請して武運長久を祈られ、その後、源頼光が社殿を再興、源頼政が改修、太田道灌の父・資清が社領として土地を寄進し、道灌が社殿を再興(文明元年・1469)したとあります。江戸時代には、三代将軍家光の時に社領七石を与えられ、以後代々将軍家より御朱印を寄付されました。この神社は武蔵野台地の東北端にあり、その下には東北新幹線、埼京線が通り、北の玄関口として交通の安全を守護しています。現在の社殿は昭和6年の夏に竣工したもので、のち昭和63年に本殿が改築されました。赤羽八幡神社は、昔より武士の信仰が篤く、現在では「勝負の神」として、受験生やスポーツ選手をはじめ広く信仰されています(北区観光サイト)。



赤羽駅から歩いて行き、視界に入った鳥居。あの坂を上るのか・・・(^^;と思ったが、こちらは車用かな。





徒歩向け迂回路もあったけど、やっぱりこんな階段を上がる。










撫で牛


因幡の白兎






こちらで扱っているお守りに、関○ャニの「∞」マークが入ってるらしくて、関○ャニファンが書いた絵馬がたくさん掛けられていた。



境内から見える新幹線



王子稲荷神社
5月中旬頃、王子稲荷神社でお参りした。


関東稲荷総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれてきました。 大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがあります。年末には地元の方々の催す「王子狐の行列」が新しい風物詩となっています。 また、毎年2月の午の日に開かれる凧市は、たびたび大火にみまわれた江戸庶民たちが「凧は風を切る」として火事除けの縁起をかつぎ、今なお親しまれています。 国認定重要美術品の「額面著色鬼女図」、谷文晁の龍図を所蔵しています。 境内にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっています(北区観光サイト)。現在の御社殿は十一代将軍家斉公により新規寄進されたもの。御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、宇気母智之神(うけもちのかみ)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)(東京都神社庁)。



豪華絢爛、隅々まで派手派手だ。





本宮


願掛けの石 御石様





敷地内に幼稚園があり、とても賑やかであった。「狐の穴跡」の写真は、撮るのを忘れてしまった。


王子神社
5月中旬頃、王子神社でお参りした。

王子神社は中世に熊野信仰の拠点となった神社です。王子村は古くは岸村といいましたが、紀州熊野三所若一王子が勧請され、王子村と改められました。非常に高い格式を持つ神社で、最盛期には飛鳥山も支配地としていました。北区指定無形民俗文化財民俗芸能「王子田楽」を奉納する8月の祭礼や、12月の熊手市などの風物詩をはじめ、天然記念物として東京都指定文化財となった大イチョウ、理容業界の神様とされる関神社と毛塚があります(北区観光サイト)。御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます(公式サイト)。


長い階段を上った所に開ける別世界。あちこちに取り入れられた金色が目に入って来る豪華な造りだ。








末社 関神社
全国でも珍しい「髪の祖神」。御祭神は百人一首でも有名な蝉丸公で、姉「逆髪姫」のために髢・鬘を作ったという伝説により、髢、鬘や床山業界の方々の信仰厚い神社です。また蝉丸公は琵琶の名手でもあり「音曲諸芸道の祖神」としても崇敬されています。戦災で焼失したものを、髢、鬘、床山、舞踊、演劇などの関係業界の御尽力により、昭和34年に再建されました。境内には毛髪報恩のための毛塚も建立されています(公式サイト)。



髪の神さまなんて言う方もいらっしゃる。





王子駅って、JRから南北線に乗り換えるだけで、周辺を歩いた事が無かったけど、坂が多くて複雑な地形なんだわ。


代々木八幡宮
5月中旬に、代々木公園でタイフェスをうろうろした後、代々木八幡宮でお参りした。

建暦2年(1212年)、源頼家の近習・近藤三郎是政の家来であった荒井外記智明によって創建された。頼家が修禅寺で暗殺された後、智明は武蔵野国代々木野に隠遁し主君の冥福を祈る日々を送っていたが、建暦2年8月15日の夜、鎌倉の八幡大神から宝珠のような鏡を授かり、託宣を受ける夢を見た。そこで、同年9月23日、元八幡の地に小祠を建て鶴岡八幡宮より勧請を受けたのが当社の始まりであると伝える。現在でも例祭は9月23日に行われている。昭和25年、境内の発掘調査が行われ、縄文時代の住居跡などが発見された。境内に竪穴式住居を復元したものがある。「代々木八幡遺跡」として渋谷区の史跡に指定されている。八幡神として応神天皇を主座に祀り、天祖社・天照大神、白山社・白山大神を配祀する(Wikipedia)。





当日は、結婚式が行われていた。




出世稲荷。代々木八幡に住んでブレイクした芸人が多いとかで、テレビで話題になった事があるらしい(知らなかったけど)。




ここもまた、緑多い別世界であった。





竪穴式住居






タイフェスは、激混み。「PRICKLY HEAT」と言う涼感パウダーを買った。



日比谷神社
4月末頃、出勤前に新橋にある日比谷神社でお参りした。

創建年代は不詳である。元は現在の日比谷公園内の大塚山に鎮座していた。慶長年間、江戸城の拡張に当たり、氏子とともに芝口(現在の東新橋)に移され、明治時代、鉄道(東海道線)の敷設に当たり新橋4丁目に遷座した。その境内地全域が計画道路の予定地にかかっていたことから、2009年(平成21年)7月31日に東新橋2丁目の国道15号(第一京浜)沿いに遷座した。別名を「鯖稲荷」という。もともとは大塚山に在った頃、苦しむ旅人達に社務所を開放して無病息災を祈願を受けさせたところ霊験があったことから、「旅泊(さば)稲荷明神」と呼ばれていた。新橋移転以降は「鯖」の字を当てた鯖稲荷となり、虫歯に苦しむ人が鯖を断って当社に祈願すると霊験があるとされ、成就すると鯖を奉納する習わしであった。豊受大神(稲荷神)・祓戸四柱大神(瀬織津比売大神・速開都比売大神・気吹戸主大神・速佐須良比売大神)を祀る(Wikipedia)。











オフィス街に、ひっそり鎮座する神さま。新橋周辺は、意外と神社がたくさんある。
赤坂氷川神社
5月上旬頃、仕事帰りに赤坂氷川神社でお参りした。

天暦5年(951年)、蓮林僧正が霊夢を見て、現在の赤坂四丁目のあたりに奉斎したと伝えられる。享保15年(1730年)、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の命により、現在地に遷された。現在の社殿はこの時に造営されたもので、東京都の有形文化財に指定されている。麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とされる。御祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命 (おおなむぢのみこと)(Wikipedia)。



強風が吹いていたので、ブレブレになっているが、鳥居をくぐった後、大量の木々に囲まれた世界になる。多くの神社は、立派な樹木がたくさん植えられていて、閉ざされた異空間になっている感じが好きだ。











大イチョウは、港区の天然記念物だそう。






仕事終わりに、御成門から神谷町を抜けて、六本木一丁目迄歩いて行った。六本木駅付近は、たま〜に用事があって行く事があるが、六本木一丁目付近には用事が無いので、ほとんど行った事なかった。泉ガーデンタワーとかアークヒルズとか、凄い世界が広がっていて、ずっとキョロキョロしっぱなしであった(@_@;長い歩道橋は怖くて渡れないので、地下通路を上手く駆使しないと、道の反対側へすら行けない。沈