はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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荏原神社
9月上旬頃、品川神社にてお参りした後、少し離れた所に鎮座している荏原神社でお参りした。



荏原神社は、古くから貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称されていたが、旧荏原郡(品川、大田、目黒、世田谷)のエリアで最も由緒のある神社であるとされたことから、1875(明治8)年に荏原神社と改められた。北品川にある神社のうち、荏原神社は「南の天王」と呼ばれる。ちなみに品川には2つ天王社があり、もうひとつが品川神社で「北の天王」と呼ばれている。

昔から勝運や学問・商売繁盛・交通安全・家内安全・恋等にご利益があるとされ、年間を通じて参拝客が多い。また東海七福神の中の1社でもあり、恵比須様も祀られている(東京湾岸スタイル)。



入口に鎮座している恵比須様





木造の渋い鳥居


拝殿



子の位置とか、面白い造りの狛犬さん




よく見るとかなり凝っている彫刻



目の前を流れる目黒川に架かる鎮守橋




涼しい時期なら、品川駅から歩いて行けそうだけどな。こんなに近い距離で、二つの神社に守られているとは、かなりパワーがありそうな地域だな。

品川神社
9月上旬頃、京急新馬場駅近くに鎮座している品川神社(北の天王社)でお参りした。


後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃?命を勧請して、品川大明神と称し、今は社名を品川神社と改めた。御祭神は、天比理乃命(あめのひりのめのみこと)、宇賀之売命(うがのめのみこと)素盞嗚尊(すさのおのみこと)(東京都神社庁)。




入口に鎮座している東海七福神の大黒天




龍が巻き付いている


怖いくらい急な傾斜の階段



拝殿 力強い佇まいだ。






敷地内にある浅間神社


凛々しい狛犬の台座には富士山が描かれている







一粒万倍の泉
阿那稲荷神社にあるパワースポット。この泉の水でお金や印鑑を洗うと一粒が万倍に増えるとか。この日は、蚊がたくさん飛んでいて、全く集中出来なかった。








あちこち神社を巡っていて、富士塚がある事は珍しくないんだなと思っていたが、ここの富士塚はかなり本格的だった。高所が苦手なので、道路に面しているスッカスカの高さが怖くて、頂上で撮影する事が出来なかった。



足神様 猿田彦神




七福神
見ているだけでご利益がありそうで、ついつい撮影してしまう。



他にもいろいろと見所満載であった。これで東京十社、全てお参り出来た。

須賀神社
8月末、出勤前に東京・四谷に鎮座する須賀神社でお参りした。


須賀神社は江戸初期より四谷の地に鎮座する、四谷十八ヵ町の鎮守様です。毎年六月に行われる御祭礼は、古くは四谷の「天王祭り」といわれ、江戸の五大祭りの一つとして有名でありました。社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に、八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事に基づき名付けられた名称です(公式サイト)。


とっても美しい神社であった。













神社敷地内の階段からの風景が、映画「君の名は」に登場することで聖地化しているそうだ。





高徳院
鎌倉にて、長谷寺でお参りした後、高徳院でお参りした。子供の頃、「鎌倉の大仏」を見に行った記憶が残っているが、鶴岡八幡宮にあるものだとずっと思い込んでいた。記憶違いだ。


高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院。本尊は「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる阿弥陀如来像(国宝)。山号は大異山。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳である(Wikipedia)。













長谷寺
8月末頃、入院している父親を見舞う前に、鎌倉へ行った。桜、紫陽花、紅葉のどの季節でも無いから、空いているかと思ったが、鎌倉駅はかなり混雑していた。江ノ電に乗り長谷駅で下車、長谷寺でお参りした。


長谷寺(はせでら)は、神奈川県鎌倉市にある浄土宗系統の単立寺院。山号を海光山、院号を慈照院と称し、長谷観音と通称されている。本尊は十一面観音、開山は僧侶の徳道上人とされる。坂東三十三箇所観音霊場の第四番札所である。伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない(Wikipedia)。



見所満載で、たくさんお参りして写真を撮ったが、これくらいで。




本堂


弁天窟に鎮座する弁財天さま
洞窟内は、小学生が駆け回り、遊園地のお化け屋敷と化していた。


さわり大黒さま


和み地蔵








グリーンのイメージがあるけど、この日に乗ったのはブルー☆
江ノ電に乗ったのは、初めてかも。


加茂神社
8月上旬頃、さいたま市北区宮原に鎮座している加茂神社でお参りした。


京の賀茂別雷神社(上賀茂神社)を勧請した加茂神社は、加茂宮村の鎮守であり、村名の由来にもなった社である。 徳川幕府による文化7年(1810年)の創建ともされ、『新篇武蔵風土記』にも「加茂社 加茂宮村の鎮守にして社辺に古杉数林あり 土地のさま 旧社と見ゆれど 勧請の年代詳かならず」と記されている(wikipedia)。




盆踊りの準備中であった





最近ようやく狛犬に興味を持つようになって、毬を抱えたのと、子供を抱えているのが、対になっていることがわりとある気がする。






柳森神社
8月末頃、湯島聖堂やニコライ堂と言う荘厳な建物を鑑賞した後、柳森神社でお参りした。



長禄2年(1458年)太田道灌が江戸城の鬼門除として現在の佐久間町一帯に植樹した柳の森に鎮守として祭られたのがはじまりとされ、万治2年(1659)に神田川堀割の際に現在地に移りました。柳の樹も堀の土手に移植され、江戸の名所になりました。境内の福寿社は「お狸さん」とよばれ、五代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に創建したといわれています。境内の13個の力石群が千代田区の有形民俗文化財に指定されています(千代田区観光協会)。


川からの風景



拝殿



たぬきさんたち










決して広くない空間に、たくさんの神様が鎮座していた。














そして、目の前には柳



たぬきさんたちに、ほっこり。

大船観音寺
呆けた父親が入院している病院は大船駅からバスorタクシーで行く。よって、見舞いにかこつけて、大船駅や鎌倉付近での神社・仏閣巡りが出来そうだ。


大船駅から見える「白い大仏」・・・。大船観音って言うのか。



大船観音は1929年(昭和4年)、地元有志の発起により、護国観音として築造が開始され、1934年(昭和9年)には輪郭が出来上がっていたが、戦局の悪化により、築造は中断。その後、20年以上放置される。第二次世界大戦後、財団法人大船観音協会が設立され、1960年(昭和35年)4月に完成した。なお、大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙(たかしな ろうせん)や、東京急行電鉄の初代社長・五島慶太の名前を始め、各界の著名人の名が見える。財団法人大船観音協会は、1981年(昭和56年)11月30日に解散し、宗教法人大船観音寺と改称され、現在に至る(Wikipedia)。







観音さままでの参道の坂道は、もの凄い傾斜だ。高尾山登山よりキツい。数分で汗だくだ。












JR大船駅は、JR浦和駅から上野東京ラインで69分。乗換無しとはいえ・・・。

出雲大社東京分嗣
8月下旬頃、仕事帰りに出雲大社東京分祠でお参りした。



出雲大社東京分祠(いずもおおやしろ、いずもたいしゃとうきょうぶんし)は東京都港区六本木に鎮座する神社で、島根県の出雲大社からの分祠である。御祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日 - 17日)。出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではない。そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになった(Wikipedia)。



先にお祓いをする・・・。



拝殿には、わりと狭い空間に多くの参拝者がいたので、写真はやめておく。







ビルの一角にある都会型だな。いつか島根県までお参りに行ってみたいものだ。


ニコライ堂
秋葉原へ行った際、ここにも荘厳な建物があると知り、足を運んでみた。



このすばらしい聖堂は、高さ約34.5メートル、鐘楼の高さは約37.7メートル、建坪は約1,050?あります。ニコライ堂とは、この堂を建てたニコライ大主教の名前をとった呼称で、正しくは日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂といいます。建築の様式は、ビザンチン式が基本で、壁が厚く窓が小さく、中央にドームがあり、外からみると壮大で堅牢です。細かい部分にイギリスのロマネスク風やルネッサンス式が巧みに取り入れられているのは、イギリス人のジョサイア・コンドルが工事監督にあたったからでしょうか。そもそもこの大聖堂が建てられた駿河台の場所は、江戸時代は定火消の屋敷跡で、火の見櫓が高くそびえており、ニコライがはじめて、明治5年(1872)に東京に来たい際、この地に大聖堂と心に決めた所で、ロシア国公使館の付属地でもありました。初の大聖堂は、ロシア人、シュチュールボフの基本設計、コンドルの監督設計、長野泰輔の工事責任で、明治17年(1884)に工事が始まり、約7年かかって明治24年(1891)に完成しました(千代田区観光サイト)。


ろうそく代300円を納めて、中に入って祈りました(撮影禁止だったので、写真はありません)。