はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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七郷神社
3月下旬頃、鳩ケ谷氷川神社でお参りした後、埼玉高速鉄道→JR武蔵野線東川口駅で乗り換えをした。少し時間があったので、google mapで神社検索をして見つけた七郷神社でお参りした。



七郷神社(ななさとじんじゃ)は、明治40年以前は、氷川社でした。神社の創立については、別当であった西光院の火災で記録が焼失したため分かっておりません。別当の西光院が天正元年(1573年)の創立と伝えられていることから同時期に祭られたものと思われます。また、現在戸塚消防分署がある場所から弥生時代の遺跡が出ていることから、神社神道のおこる前からこの場所で祭祀が行われていた可能性もあります。現在の末社(神社の左の社)に祭られているのは、三峰社、獅子社(猿田彦の神)、厳島社、疱瘡社、菅原社、稲荷社の6社です。 明治6年の神仏分離により別当の西光院から別れて村社となり、明治40年には、下立山の神明社、一本木の諏訪社、平沼の厳島社、佐藤の稲荷社、藤兵衛新田の稲荷社、久左衛門新田の天神社の6社を合祀して七郷神社と改称しました(埼玉県神社庁)。




東川口駅から7、8分歩いて、階段を上る。



こちらも桜が美しかったぁ


凛々しい狛犬さん




拝殿


駐車場も桜桜桜







近くに鎮座していた西光院伝福寺でもうろうろとしてみた。


天正元年(1573年)叡雅上人が遊行の砌、この附近に在った大杉の霊異を感じて一庵を結び、杉本坊と称したのが創建の起因であると伝えられる。その後、文禄二年(1593年)再び叡雅上人が留錫し堂宇を 興して青龍山西光院伝福寺と改め、本尊に不動明王を安置された。 中興開山第三世長雅上人寛永年間(1624年)に薬師堂表門、客殿などを建立し、繁栄の基礎を堅固にした。 この頃岩槻城主太田氏の家臣山崎橘安信が館をこの地に移し大檀那となり厚く信仰歸依され法隆をきわめた。以来七堂伽藍を構え門前市をなし、時には徳川将軍日光社参の際には籠をとめ小休止するという。 境内は森寂に沈み、時季折々に草花咲みだれ、木々の間には石像、銅像の仏達ち立ち並び信心深き老若男女の参詣がたえることがない(公式サイト)。





弁財天 七福神の石像が並ぶ



桜が美しく、様々な石像、銅像がいらして、かなり興味深かった。時間が無くて全てを堪能出来なかったので、また訪ねてみたい。

















鳩ケ谷氷川神社
3月下旬頃、鳩ケ谷氷川神社でお参りした。



当社は、旧鳩ヶ谷宿の中心地で、日光御成街道からやや西に入った高台に鎮座し、ご創立は1394年(応永元年)と伝えられております。 御祭神の須佐之男命(スサノオノミコト)は、ヤマタノオロチを退治して稲田姫命(イナダヒメノミコト)とご結婚した後、出雲国須賀の地に降り立った。そこで「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言って宮作りをされ、 「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」と詠んで、稲田姫命と仲睦まじく幸せに暮らしていった。 御祭神は、荒しく強い力の持ち主でありながら清々しく全てを清めてくださる神として厄除けの神様。社会の繁栄と安住の天地を作る事を教えとする、夫婦円満の神様。 稲田姫命と様々なことを乗り越えてめでたくご結婚され、夫婦神様となり末長く仲良く暮らしていったことから、縁結びの神様(結びの神)として信仰を集めております(公式サイト)。





静かな住宅街を歩いていると現れる、鮮やかな赤い鳥居。



少し歩いて次の鳥居






次の鳥居


狛犬さん ぐふふと言っている感じだ。






桜が美しい


拝殿




境内社








境内社が他にも鎮座、色々なパワーを頂けそうだ。


やはり桜が美しい


湧き水も





わりと近い所で、桜が美しい神社と出会えて幸せだった。


つつじ祭り
先週の金曜、用事があって南北線本駒込駅で下車したら、「根津神社つつじ祭りこちら→」と言う看板が立っていたので、迷わず本来の用事を後回しにして根津神社へ。本駒込駅からも徒歩7、8分なんだ。



庭園の中に入るのは有料だったので、外から撮影して終了(ケチってすみません)。白い花なんかもたくさん咲いていて綺麗だったわ(^.^)









拝殿前は混んでいたので、こちらも遠くから手をあわせて退散した。







色合いと良い、雰囲気と良い、本当に素敵だ。

川越散策 2018春
3月下旬頃、川越を散策した。



仙波愛宕神社でお参りした。古墳なんだな。


川越市富士見町にある仙波愛宕神社は、防火の神「火産霊神」を祀った神社。仙波愛宕神社の拝殿・本殿は、盛り上がった小山の上にありますが、この小山はなんと古墳。川越市指定の史跡「愛宕神社古墳」です。仙波古墳郡の一つ「愛宕神社古墳」。別名「父塚」とも言われています。父と言えば母!愛宕神社古墳から300m程南西にある浅間神社古墳が母塚と言われています。愛宕神社古墳は、高さ6mの基檀のある二段築成構造の円墳で、墳頂には愛宕神社が祀られています。二段築成とは、段々になっている構造のことです。古墳の周囲には、幅6mの周溝が巡っています(東南の斜面以外)。周溝とは城の堀の様なものです。状態はほぼ完存されていて、古墳の周囲を回って見てみると、愛宕神社古墳の大きさに気づかされます(川越観光サイト)。



ちょっとしたハイキングコース風の階段を上がる。






また階段。かなり小高い。


拝殿




小さな本殿?


狛犬 ブタっぽい。




桜は、一部咲きってところ。満開になったら美しいだろうな。




延命地蔵尊
仙波愛宕神社の裏手へ回ると、神社なのに地蔵尊が安置されています。お名前は延命地蔵尊。その名の通り、長生きや新しく生まれた子を護る御利益があります。この延命地蔵尊は、今から約270年前の元文元年(1736/江戸時代中期)からこの場所で、多くの人信仰を受けてきました(同)。









住宅街で、こう言う感じの屋根を見つけると、引き寄せられてしまう。

川越駅から歩くこと約15分。辺りは住宅がひしめく路地で「こんなところに古刹があるの?」と不安になりながら進んでいくと、「川越観音 長徳寺」の文字が見えてきます。平安時代に慈覚大師円仁が開いたお寺で、創健1160年以上の歴史あるお寺です。また喜多院の末寺になります。本堂右手の立派な観音堂には、白衣観世音菩薩坐像が安置さていて、川越観音霊場の正観音とされています。また、長徳寺境内は平安時代の豪族「仙波氏」の館跡とされ、川越市の史跡に指定されています。長徳寺は高台に位置して、かつて東側は湿地帯。周囲には堀があり、北側は100m、南側は150m、東西側は700mの堀があったそうです。また、現在も長徳寺周辺の小字に「堀の内」という地名も残っていることから仙波氏館跡と推定されています。現在は、残念ながらそれを偲ぶ遺構はほとんど残っていません。









稚児(いもっこ)観音
かわいらしい観音さま。笑顔でほほえむ観音さまの名は「稚児(いもっこ)観音」。左手に持っているのはサツマイモ!?(説明は、全て川越観光サイト)







川越八幡宮は、川越駅から近いので、お参りに行きやすい。足腰の健康を祈願する。

神社境内に、民部稲荷(別名、相撲稲荷)が祀られており、打ち身、挫きなどの際に絵馬を納めるとご利益があるそうです。なんと2010年箱根駅伝で優勝した東洋大学も参拝に訪れたそうです(公式サイト)。





北鎌倉散策
3月中旬頃、入院している父親を見舞う前に、北鎌倉を散策した。



建長寺でお参りした。

建長寺は鎌倉幕府第5代執権、北条時頼によって1253(建長5)年に創建された、我が国初の禅寺です。開山には宋から高僧、蘭渓道隆を迎え、元号をとって建長寺と名づけられました。建長寺の建っている場所はもともと処刑場であり、地獄谷と呼ばれていました。かつては地蔵菩薩を祀る心平寺というお寺があり、建設が始まった当時、地蔵堂が残っていたことから、建長寺の本尊も地蔵菩薩とされました。1293年、1315年と2度の火災にあったものの、その都度、北条氏によって再建され、鎌倉五山第1位に列して栄えました。1414年、再び火災に遭い、全山が灰燼に帰しましたが、江戸時代に創建当時のようすを再現して再建され、宋朝風の禅寺の様式を現代に伝えています。今は、鎌倉で最も重要な観光名所のひとつとなっています(鎌倉観光 風の旅)。


スケールの大きさに歴史を感じる。わたくしの撮影能力では、全然表現出来そうもない。高校生が座禅研修をしていた。







敷地内の稲荷神社でもお参り。





円覚寺 弁天堂でお参りした。

江ノ島弁財天の加護によって洪鐘の鋳造が完成したと伝えられ、その弁財天を祀るお堂です。北条貞時が洪鐘とあわせて弁天堂を建立し、当山の鎮守としました(公式)。


とにかく、長い長い長い階段を上った・・・・(*_*)










国宝・洪鐘(こうしょう)の写真はいまいちだったので省略ですf^^;


竹林に浮かぶ小さなブドウみたいな花がひらひらしていて、幻想的であった。






北鎌倉周辺は、紫陽花の季節なんかは激しく混むんだろうな。





北鎌倉では無いが、眠っていた写真を記録しておく。



1月中旬頃に、鎌倉を散策した時にお参りした、本覚寺 夷堂。こう言う感じの薄い緑色のドーム型屋根を見かけると引き寄せられるように近づいていき、写真を撮ってしまう。好きなんだよな〜。







1月中旬頃、西浦和に鎮座する御嶽神社でお参りした。以前、足を運んだ時は工事中だったので、やっとカラフルさを堪能出来た。





今戸神社
かなり前の話。2月上旬頃、浅草七福神巡りをした。矢先稲荷神社、鷲神社、吉原神社、石浜神社の次は今戸神社でお参りした。


御祭神は、應神天皇(おうじんてんのう)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、福禄寿(ふくろくじゅ)。後冷泉天皇康平六年(1063年)、京都の石清水八幡を勧請し今戸八幡を創建。昭和十二年七月に白山神社を合祀、今戸神社と改称。應神天皇の御神徳は武運長久と慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としています(東京神社庁)。






拝殿に招き猫が!


本物の猫さん、後ろ向いちゃったけど。






縁結びの神様として知られているそうで、ピンクを基調としたそれらしい雰囲気であった。




数分歩いて、毘沙門天をお祀りしている待乳山聖天でお参りした。





道灌稲荷跡








浅草七福神巡り、残るのは浅草寺の大黒天さま、浅草神社の恵比須さまだが、ここで時間切れ。浅草寺と浅草神社は、以前にお参りしたことがあるしな。七福神巡りと言うけど、九社巡りなんだ。新宿七福神巡り同様、普段なら絶対に用事がなさそうな所をたくさん歩くと言うのは、いろいろと深いわ・・・。

石浜神社
かなり前の話。2月上旬頃、浅草七福神巡りをした。矢先稲荷神社、鷲神社、吉原神社の次は、石浜神社でお参りした。


石浜神社(いしはまじんじゃ)しんめい様。聖武天皇の神亀元年(724年)九月十一日、勅願により鎮座され以来1270年余の歴史をもつ、区内最古の神社。御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)豊受大御神(とようけのおおみかみ)。源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、蒙古襲来の折、鎌倉将軍家のお取次ぎによる必勝祈念の為の官幣のご奉納など大社として発展。江戸近世には社運さらに栄え、なかでも「夏越の大祓」は、江戸随一と称された(東京神社庁)。





隅田川沿いで視界が大きく広がり、気持ちの良い場所に鎮座する堂々だるお姿だ。








境内社


拝殿




頭部がくるくる、迫力満点の狛犬さん。







少し歩いて、布袋尊をお祀りしている不動院(橋場不動尊)でお参りした。



次は、今戸神社へ。
吉原神社
かなり前の話。2月上旬頃、浅草七福神巡りをした。矢先稲荷神社、鷲神社の次は、吉原神社でお参りした。


吉原神社のご祭神は、稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)で、開運、商売繁昌、技芸上達などのご神徳です。元和3(1617)年、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されました。これが「江戸元吉原」です。その後、明暦3(1655)年の大火のあと千束村に移転を命ぜられ、そこに新しく造られたのが「新吉原」ということになります。新吉原遊郭には古くから鎮座されていた玄徳(よしとく)稲荷社、それに廓内四隅の守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が祀られておりました。この五社が明治5年に合祀されることになり「吉原神社」として創建されました。吉原神社の歴史は新吉原遊郭のそれと折り重なり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されてきました。五社のなかでも 九朗助稲荷社の創建は古く、和同4(711)年、白狐黒狐が天下るのを見た千葉九朗助という人の手で元吉原の地に勧請されたのがはじまりとされています。そして廓の千束村への移転にともなって浅草新吉原の地にふたたび勧請されました(浅草七福神巡りサイト)。


吉原弁財天本宮。吉原観音。










東京芸大生が描いたと言う壁画が凄いカラフルだ。数分、歩いた所に鎮座する吉原神社。



お穴さま
地中の神様で、神社の土地をお守りしています。心をこめてお参りすると、必ず福が得られると伝えられ、大切にお護りしています(公式サイト)。





朱色と言うより、「赤」が多い印象だ。




次、石浜神社神社へ向かう途中、玉姫稲荷神社でお参りした。昨年11月に、靴まつりで訪れた神社だ。あの時は、ぎっしりとテントが張られていたから、広いのかと思っていたが、意外とそうでも無かった。





鷲神社
かなり前の話。2月上旬頃、浅草七福神巡りをした。矢先稲荷神社の次は、鷲神社でお参りした。


鷲神社(おおとりじんじゃ)酉の市御本社・おとりさま。御祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)。天日鷲命は、開運・開拓・商売繁昌の神様としてこの地に祀られ、後に日本武尊が、戦勝を祈願し、社前の松に熊手をかけて戦勝を祝い奉賽されました。その日がたまたま十一月の酉の日であったので、その日を神祭の日と定めたのが例祭酉の市です。寿老人を祀る(東京神社庁)。






拝殿で迎える「なでおかめ」。健康になると言う頬を撫でる。






全体的に派手派手で、開運!開拓!商売繁昌!と前向きなパワーを貰えそうであった。次は、吉原神社へ。
矢先稲荷神社
かなり前の話。2月上旬頃、浅草七福神巡りをした。東京マラソン前に、長時間外にいて、体を寒風にさらして鍛える為に、あちこち七福神巡りをしていた(^^ゞ


JR上野駅から徒歩7,8分辺りに鎮座する矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)からスタート。

カラー「日本馬乗史100枚」神武天皇から西中尉まで。御祭神は、倉稲魂命。創健、寛永十九年(1642年)、三代将軍家光三十九歳の時。武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものを浅草の今の地に建てる。「矢先」の由来は、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社で「矢先」と呼ばれた。福禄寿を祀る(東京神社庁)。





陶器のように見える扁額





拝殿の天井には、神武天皇の時代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた絵馬が奉納されている事で有名らしいが、何となく入りにくかったので遠慮した。白とベージュを基調とした爽やかな印象だ。一部、工事中だったのは残念であった。



道具屋さんがたくさんある合羽橋を通過して、次は鷲神社へ。