はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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和光市散策
9月上旬頃、和光市付近を散策した。最初に和光市駅から徒歩約20分、新倉氷川八幡神社でお参りした。

由緒は探し出せなかったが、氷川神・須佐之男命(すさのおのみこと)と八幡神・誉田別命(ほんだわけのみこと)が祀られているだろう。七五三等の写真映えがしそうな拝殿である。










そこから30分くらい歩いて、白子熊野神社でお参りした。


白子村の氏神様として栄え、富士塚や湧水のある四季折々の表情を見せる神社(和光市サイト)。熊野神社は、熊野三山の祭神の勧請を受けた神社である(Wikipedia)。





尾っぽが素敵な狛犬さん







隣接している大本山清龍寺不動院でもお参りした。

本能寺の変により織田信長が自害したとき、僅かな部下と共に、大阪の堺にいた家康公は、人生最大の危機を迎え、三重県の伊賀を超え自城の岡崎城への多難な伊賀越えが始まる。この人生最大の危機に瀕した家康公とその一行を救い、三重の白子の浜から船で脱出させてくれたのが、服部半蔵を頭領とする伊賀忍者。恩義を感じた家康公は後に、同じ白子の地名のある、埼玉県和光市の白子一帯を領地として与えた。この地にある名刹の清龍寺不動院を、伊賀忍者は出城として、江戸城の警護に日々出仕していた。また不動院の法主は家康公より多大な石高を下付され、伊賀忍者の監督を行っていた。このような関係で、家康公の生前の命により、二代将軍の秀忠公が当寺院に家康公のご守護神を祀り、以来約390余年の間、歴代住職により日々の灯明を欠かさずお祀りされている(公式サイト)。





洞窟巡りが出来そうだったが、怖かったので止めといた。




和光市の駅から散策したのは初めてだが、以前、よく走っていた幸魂大橋を越えるとそこは和光市で、新倉氷川八幡神社は、この橋を越えて行くルートの方が近い。でも今は、あの橋の前まで行っても、怖くて渡ることが出来なくなってしまった(^^;和光市は、アップダウンが大きくて、隣の板橋区と雰囲気が似ている気がした。br />



鶴岡八幡宮
9月下旬頃、父親が入院している病院へ、医師の説明を聞く為に大船まで行った。医師の都合で午前中に行ったので、午後には、たっぷり鎌倉を散策出来た。鶴岡八幡宮→荏柄天神社→源頼朝の墓→鎌倉宮→瑞泉寺と言う、鎌倉駅から徒歩で行けるコースを辿ってみた。まずは、鶴岡八幡宮の思い出から。





源頼義が1063年(康平6)、由比郷鶴岡に京都の石清水八幡宮を勧請し鶴岡若宮を称したのが始まり。源頼朝は1180年(治承4)に現在の地に移し、鎌倉のまちづくりを開始、1191年(建久2)には火災を機に、上下両宮の現在の体裁となる。本宮前から、若宮大路を中心としたまちが望める(鎌倉市サイト)。

一の鳥居


二の鳥居


三の鳥居





お決まりの急な傾斜の階段を上がる(この写真は8月末に撮影したもの)





小学生の頃、新年が明けた夜中に、自宅から裏山を歩いて越えて、ここまで初詣に来た事があったな。母親と二人で。横浜の外れにある実家から、鎌倉は意外と近かったのだ。





境内社(説明は公式サイトから)
白旗神社 源頼朝公、実朝公がお祀りされており、黒塗りの御社殿が印象的です。祭神の御神徳にあやかり必勝や学業成就の信仰のあつい神社です。 黒塗りが力強さを醸し出している。



丸山稲荷社
社殿は、商売繁昌を願う多くの方々より奉納された赤い旗で囲まれ、当宮では一番古い室町期の建物です。



旗上弁天社
源平池の東の島にあり、御社殿は八幡宮御創建800年(昭和55年)に、文政年間の古図をもとに復元したものです。頼朝公の旗上げにちなみ、源氏の二引きの旗に願をかける人が大勢います。






他にも見所満載だったが、これくらいで。一の鳥居から歩いて、隅々までしっかり見て周ったら1時間くらいかかりそうだ。

市谷亀岡八幡宮
9月末、出勤前に市谷亀岡八幡宮でお参りした。少し前に、林修先生のSP番組で神社特集だった時に、ペットの祈祷をしてくれるとかで、取り上げられていた。




市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)は、東京都新宿区市谷八幡町にある神社。当神社は太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した。御祭神は誉田別命(応神天皇)、気長足姫尊、与登比売神(Wikipedia)。


お参りの際に、急な階段を上がる事は運動だ。


面白い狛犬さん







銅で出来ている鳥居は、とても素敵なんだが、撮影するのが難しい位置にある。





境内社
茶ノ木稲荷神社 商売繁昌、衣食住安泰、芸事向上、特に眼病の平癒では全国的に有名(公式サイト)







金刀比羅宮 航海安全を始め交通安全 海上守護産業の円満 金運の招来(公式サイト)




出世稲荷神社










もの凄い過酷な傾斜に、いくつもの神さまが鎮座している神社だ。住宅街、オフィス街の隙間で、佇む人が多かった。

太郎坊社
先日、来年の東京マラソンに当選した際に、とにかくどこかでお礼をしたくて、仕事帰りに愛宕神社でお参りした。勤め先の近くに鎮座しているので、時々お参りする。今回は、境内にある小さな社でもお参りした。




招き石:この石をなでると福が身につくそうだ。とにかく撫でる。



太郎坊社:ご祭神は、愛宕の太郎坊と古くから敬われた猿田彦神(サルタヒコノカミ)。天孫降臨の時に道案内をされた天狗様で旅行や開拓の守護神だそう。なんとなく前向きになれそうだ。




弁財天社


福寿稲荷社






今回は、この男坂ではなく、往復、女坂を使ってしまった。急な感じが怖くて(*_*)



赤城神社
9月下旬頃、神楽坂・善国寺でお参りした後、少し歩いて、赤城神社でお参りした。



赤城神社(あかぎじんじゃ)は、東京都新宿区赤城元町にある神社。明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれた。鎌倉時代の正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる。文安元年(1444年)には、大般若経が奉納された。 寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。御祭神は、岩筒雄命(いわつつおのみこと)と、相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)を祀る(Wikipedia)。




若い女性が大勢お参りに来ており、これはきっと縁結び神さまなんだろうなと、思っていたらやはりそうであった。飯田橋に鎮座する東京大神宮と両方参拝すると効果増し増しとかで、混雑していた訳だ。


なんとも、これまでお参りした神社とは、雰囲気が違うなと思ったら、





デザイン監修を建築家の隈研吾が担当したそうだ。





狛犬さんは、スフィンクスみたいだ。














摂社。きちんとされている。









その後、牛込神楽坂駅を目指して歩いていたら、「秋葉神社はこちら→」と言う看板に導かれて、お参りした。赤城神社と兼務社。火消しの神さま。




善国寺
9月下旬頃、九段下に鎮座する築土神社でお参りした後、飯田橋まで歩いて移動し、神楽坂をてくてくと上がり、善国寺でお参りした。


善国寺(ぜんこくじ)は、東京都新宿区神楽坂にある日蓮宗の寺院である。旧本山は大本山池上本門寺で鎮護山善国寺という。開基は徳川家康、開山は日惺上人と伝わる。正式には善國寺と称される。安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により、馬喰町に創建される。たびたび火災に見舞われ、麹町を経て寛政5年(1793年)には現在地へ移転した。本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられている。









毘沙門天像 - 新宿区指定有形文化財(彫刻)
像高30cm、木造の毘沙門天像。製作時期は不明。開山の日惺上人が池上本門寺へ入山する際、関白二条昭実より贈られたとされる。 なお通常は御簾が掛かっているため像を直接見ることはできない。御開帳の日は、(毘沙門天が寅年、寅の月、寅の日に初めてこの世に姿を現したとされる古事に因み)毎年1月・5月・9月の寅の日とされている(Wikipedia)。


そんな訳で、毘沙門天さまを直接拝むことは出来なかった。残念。こちらは、以前、ニノが神楽坂を舞台にしたドラマに出演した事から、嵐ファンの参拝が多いらしい。

築土神社
9月下旬頃、九段下→飯田橋周辺を散策した。九段下近くに鎮座する築土神社でお参りした。



築土神社(つくどじんじゃ)は、東京都千代田区九段にある神社である。通称、築土明神。 天慶3年(940)に現在の大手町周辺の観音堂に平将門を祭り津久戸大明神と称したのがはじまりといわれています。江戸城築城後の文明10年(1478)には、太田道灌が江戸城の乾(北西)、田安台に鎮守として社殿を造営しました。田安明神、江戸明神と呼ばれた時期もあり、山王・神田明神とともに江戸三社の一つに数えられました。神社の位置は田安、牛込、筑土八幡町、富士見へと移り昭和29年に現在地に移転しました。境内に区指定有形民俗文化財の力石、狛犬があります。本殿前の狛犬は、安永9年(1780)奉納の区内最古のものです(千代田区観光協会)。<主神> 天津彦火邇々杵尊、<相殿> 平将門公 菅原道真公。




九段下と言えば靖国神社で、近くにこんなに立派な神社が鎮座しているとは、全然知らなかった。入口は、ビルと一体化かな。





デザインが面白い狛犬さん



凛々しい拝殿






隣に鎮座している世継稲荷さん



富岡八幡宮
9月下旬頃、東京・門前仲町駅近くに鎮座する富岡八幡宮でお参りした。6月に訪ねた時には工事中でだったので、再度、足を運んでみた。


1624年(寛永4年)、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓した。その際工事が難航したため、「波除八幡」の別名を持つ「富岡八幡宮」(横浜市金沢区)から分社して同じ社名を許され、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされる。(本社となる横浜市の富岡八幡宮は、源頼朝の勧請により1190年代の建久年間に創建された。)創建当時は「永代嶋八幡宮」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,508坪の社有地があった。八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。広く美麗な庭園は人気の名所であったという(wikipedia)。


絵葉書のような美しさ 堂々として艶やかな神社だ。







敷地内にあるこちらの庭園は素敵であった。


七渡神社御祭神 市木嶋姫命 七渡弁天と親しまれる八幡様の地主神。八幡宮が創祀される以前から祀られる地主神。関東大震災・東京大空襲の災難もくぐりぬけ、このときに弁天池に避難した人は一命を取りとめたといいます。また、ご祭日にはお使いの白蛇が出てくるという話もよく聞かれ、神社の職員も度々目にしています。
粟島神社 御祭神 少彦名命 七渡神社に合祀されています。裁縫上達の神様として信仰を集めており、2月8日には献針祭が行われ、参拝者の皆様の折れ針・古針が供えられます。(公式サイト)


七渡神社










オブジェかと思ったが、普通に佇んでいる鳥さんだった☆












他にも見所満載であったが、これくらいで。そのうち、実家に近い横浜・富岡の八幡さまでもお参りしたい。

恵比寿神社
映画「ハイジ アルプスの物語」は、EBISU GARDEN CINEMAで観た。この映画館を利用したのは初めてだ。UNITED CINEMA グループだから、ここの会員だと金曜は1000円で鑑賞出来る。おしゃれだねぇ。横浜のSHORT FILM THEATERとか、名古屋の伏見ミリオン座みたいな雰囲気だ。


お土産にポップコーンを買ってみた。キャラメル味と塩味のポップコーンが混在しているのが良い。袋を開けると筒状になるし、途中で残しても、折り返して袋先端についているワイヤーで止めて持ち帰ることが出来る優れものだ。






映画鑑賞前に、恵比寿神社でお参りした。


恵比寿神社(えびすじんじゃ)は東京都渋谷区恵比寿西、JR恵比寿駅の西約60mの市街地に鎮座する神社である。 旧社名を天津神社(あまつじんじゃ)といい、戦後の区画整理で駅前から遷座させた際、現在の社名に改称された。旧天津神社の資料が乏しく、縁起については不明である。当時の御祭神は国常立神、豊雲野神、角杙神、意富斗能地神、伊邪那岐命、伊邪那美命の六柱。大六天(だいろくてん)、大六様(だいろくさま)、と呼ばれ、親しまれていたと伝えられている(Wikipedia)。








こんなところにも素敵な神社が!と言う感じだが、素敵に見える写真を撮影出来ないのが、近頃の悩みだな。

下赤塚散策3
9月上旬頃、下赤塚を散策した。東京大仏、赤塚氷川神社でお参りした後、20分くらい歩いて、赤塚諏訪神社でお参りした。



創建は文明年間といわれ、赤塚城主千葉自胤が信州諏訪大社の分霊を勧請してここに祀り、赤塚城の鬼門除けにしたと伝えられています(板橋区観光サイト)。









夫婦銀杏 どう頑張っても全体像を撮影出来ず


拝殿


民家のような渋い本殿



隣にあった竹の子公園






そこから、30分位歩いたかな。道を間違ったりした(^^; 次に、徳丸北野神社でお参りした。


当社が所蔵する社宝『天神宮紀』によれば、一條院正暦年中(990〜994)に、この地に疫病が流行し、里人等大勢の者がこの病により暴死した。この時、里人の一人徳麿(とくまろ)の夢に大神様が現れ、当地にある梅の古木に祈願するようお告げがあった。お告げの通り梅下により、疫病の癒えん事を謹拝して去った所、奇妙な効果(霊験)が得られ疫病はことごとく去って行った。そこで、梅はまさしく聖廟天神の珍愛されたことから、山城国(京都)北野天満宮より御分霊を戴き、当地に祠を設けて、天満宮と号した。第66代一條院長徳元年乙羊(995)正月11日御幣帛を捧げ、大前に田夫の業を以て俳優(わざおぎ)となし、神威を安んじ奉った。この田夫の業とは、今の国重要無形民俗文化財「田遊び神事」の事で創建以来一年も休まず続けられている。以降、1,000年以上この地に鎮座し徳丸郷の氏神(徳丸・高島平、新河岸地区)として、合格学問成就・邪気祓・病気平癒の守護神として広く崇敬を集めている。御祭神は正一位太政大臣 菅原朝臣道真公。(公式サイト)。









小さい子供を連れた夫婦がご祈祷を受けていた。



くさびがある鳥居







板橋の田遊び(いたばしのたあそび)は、東京都板橋区徳丸・赤塚地域に伝わる民俗行事である。板橋区の徳丸北野神社と赤塚諏訪神社において奉納される。徳丸北野神社は2月11日、赤塚諏訪神社は2月13日の夜に行われる。田遊びは稲作の季節を前に五穀豊穣を祈る「予祝(よしゅく)」の意味であって、これを夜に行うのはかつては秘事であったからである。種まきから収穫に至る稲作の一連の作業を、所作と唱え言葉で再現していく。1975年(昭和50年)の文化財保護法の改正によって制定された重要無形民俗文化財の第1回の指定を受けた(wikipedia)。




下赤塚界隈は、アップダウンが多く、ちょこっとジョギングするには、かなりの頑張りが必要そうな町であったが、かなり大きめの公園が点在していたりで、散策も楽しかった。



駅前の八百屋さんで買ったシャインマスカット☆480円也。日持ちするし、かなり食べ応えがあった。美味☆