はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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揚げ煎餅
先日、嵐にしやがれ3時間SP、大野くんのコーナーでやっていた、「揚げ煎餅とたまねぎをめんつゆで煮て卵でとじる」やつ、やってみた。小さい揚げ煎餅しか売ってなかったから、ちょうど、一人分で良い感じ☆


見た目は残念な感じだけど、煎餅を煮るとお餅みたくなるんだな、ま、お米だしな。ボリューム不足な温かいそうめんにのっけたら、案外良いかも。力うどん的な感じで。煎餅の味が濃いから、しっかり味だ。







これもいつかの嵐にしやがれで紹介されていた、「食パンの真ん中に卵を落として焼いて、さらにチーズをたくさんのっけて焼く」ってやつをアレンジして、常備している自作「黒酢生姜」と、残っていたしらす散らしたりしてみた。




生姜が良いアクセントになって、美味しかったわ♪ わたくし、生姜大好きなのでSMILY




そのうち、納豆なんちゃってトルコアイスにも挑戦してみたい☆
和光市散策
9月上旬頃、和光市付近を散策した。最初に和光市駅から徒歩約20分、新倉氷川八幡神社でお参りした。

由緒は探し出せなかったが、氷川神・須佐之男命(すさのおのみこと)と八幡神・誉田別命(ほんだわけのみこと)が祀られているだろう。七五三等の写真映えがしそうな拝殿である。










そこから30分くらい歩いて、白子熊野神社でお参りした。


白子村の氏神様として栄え、富士塚や湧水のある四季折々の表情を見せる神社(和光市サイト)。熊野神社は、熊野三山の祭神の勧請を受けた神社である(Wikipedia)。





尾っぽが素敵な狛犬さん







隣接している大本山清龍寺不動院でもお参りした。

本能寺の変により織田信長が自害したとき、僅かな部下と共に、大阪の堺にいた家康公は、人生最大の危機を迎え、三重県の伊賀を超え自城の岡崎城への多難な伊賀越えが始まる。この人生最大の危機に瀕した家康公とその一行を救い、三重の白子の浜から船で脱出させてくれたのが、服部半蔵を頭領とする伊賀忍者。恩義を感じた家康公は後に、同じ白子の地名のある、埼玉県和光市の白子一帯を領地として与えた。この地にある名刹の清龍寺不動院を、伊賀忍者は出城として、江戸城の警護に日々出仕していた。また不動院の法主は家康公より多大な石高を下付され、伊賀忍者の監督を行っていた。このような関係で、家康公の生前の命により、二代将軍の秀忠公が当寺院に家康公のご守護神を祀り、以来約390余年の間、歴代住職により日々の灯明を欠かさずお祀りされている(公式サイト)。





洞窟巡りが出来そうだったが、怖かったので止めといた。




和光市の駅から散策したのは初めてだが、以前、よく走っていた幸魂大橋を越えるとそこは和光市で、新倉氷川八幡神社は、この橋を越えて行くルートの方が近い。でも今は、あの橋の前まで行っても、怖くて渡ることが出来なくなってしまった(^^;和光市は、アップダウンが大きくて、隣の板橋区と雰囲気が似ている気がした。