はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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東京さくらトラム
10月中旬頃、ずっと前から乗ってみたかった都電荒川線(東京さくらトラム)に、初めて乗ってみた。鬼子母神駅前で下車して、法明寺鬼子母神堂を目指した。



路面電車と言うよりは、普通にバスっぽいな。




丁度、お祭りであった。





鬼子母神きしもじん
仏教の守護神。サンスクリット語でハーリーティー Hārītīといわれる鬼女。訶梨帝母(かりていも) ,歓喜母ともいう。仏教の伝説によると,釈尊在世の頃,この鬼女が王舎城に出現して,民衆の子供を奪い食ったが,釈尊に教導され,五戒を受け,以後王舎城の守護神となったといわれる。日本では主として,安産,保育の神として信仰され,ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。単独で信仰されるほか,密教では普賢十羅刹女?(ふげんじゅうらせつにょ) 図中にも加えられる。像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の『訶梨帝母像』は柔和でふくよかな容貌で,宋画の影響を受けた 12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。彫像は滋賀園城寺,東大寺などにすぐれた遺品がある。東京の法明寺は「雑司ヶ谷の鬼子母神」として有名(コトバンク)。

法明寺ほうみょうじ
東京都豊島区雑司ヶ谷にある日蓮宗の寺。山号は威光山。雑司ヶ谷鬼子母神と俗称される。円仁の開創と伝え,天台宗に属していたが,正嘉1(1257) 年日蓮の弟子日源によって改宗された。境内の鬼子母神は子育て像として多くの人に尊崇されている(コトバンク)。




武芳稲荷神社でお参りした。

境内南東には、倉稲魂命(うけみたまのみこと)を祀った古社武芳稲荷があり、今は新築遷座されていますが、古来この地が稲荷の森と称されていた頃の幾百年の名残を伝えています(公式サイト)。








大黒天



「雑司が谷七福神巡り」の案内を見つけて、ここから、運動がてら巡ってみる事にした。





弁財天(観静院)  美しいわ







恵比寿さまを目指して大鳥神社へ行き、お参りした。


雑司が谷のおとりさま大鳥神社
当神社はもと鷺明神と称し正徳二年(1712年)鬼子母神境内に創祀せられ、当時千登世橋に近く出雲藩下屋敷で藩主松平公の嫡男が疱瘡にかかった時、鷺明神に祈り治ったので厄病除けの神として尊崇されていたが、明治維新神仏分離に当り現地に移した(レッツエンジョイ東京)。



勢いのある狛犬さん


厳かな雰囲気の拝殿だ


斬新な賽銭箱





恵比寿神





布袋尊(中野ビル)





華の福禄寿(仙行寺) 何故かショーケース内に・・・





毘沙門天(清立院) 入り難い雰囲気だったので、ここで撮影だけした。



その目の前に鎮座していた白鳥稲荷大明神でお参りした。 


新鮮なお供え物が並んでいた。





吉祥天(清土鬼子母神) こちらも美しい。



七福神巡り、達成☆






この後、護国寺駅迄を目指して歩いていた時に、「護国寺」は近いのかな〜とか思っていたら、いきなり視界に入った。





護国寺
真言宗豊山派 大本山 護国寺。天和元年(1681)五代将軍徳川綱吉が、生母桂昌院の願いにより創建した祈願寺である。如意輪観音を本尊としている。後には将軍家の武運長久を祈る祈願寺となった。元禄時代の本堂、昭和3年に移築された月光殿は、ともに国の重要文化財に指定されている。その他指定文化財も数多い。明治期以降徳川家との関係が絶たれ、一般人の墓所を造成した。三条実美、山県有朋、田中光顕、大隈重信などが眠る(文京区サイト)。



漂っている荘厳な空気に圧倒された。時間が無くて、さらっと周っただけなので、再度訪ねてみたい。










敷地内にいた猫さん 和む・・・v