はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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足立散策
かなり前の話。1月21日初大師の日に、東京・足立区に鎮座する西新井大師でお参りした後、足立区を散策した。







西新井大師のすぐ近くに鎮座している氷川神社(西新井本町1-17)でお参りした。

1626(寛永3)年に武蔵国一宮氷川神社(現さいたま市、旧大宮市)から素盞嗚尊(スサノオノミコト)を勧請して創建されたと伝えられています。江戸時代には、西新井村の鎮守とされ(新編武蔵風土記稿)、1873(明治6)年7月5日には村社となりました。古写真を見ると大鳥居の奥に社殿が見え、それらが一直線に並んでいたことがわかります。環七通りの建設をきっかけに、1967(昭和42)年に、玉垣建設など境内の整備を行うとともに、同通りに面して、現在の入口が設けられました。それにあわせて、社殿も建物はそのままに東向きに変えられました。(「ブックレット足立風土記西新井」より)

可愛い狛犬さんだ











通りかかった雷神社でお参りした。「いかづち」と読むとは知らなかった。


今回は、西新井にある「雷神社」を紹介。約504の小さな神社の隣には「いかづち公園」が隣接している。同社は、梅田稲荷神社の戸田和彦宮司の兼務社で、昭和5年(1930)建築の木造造りの社殿が参拝客を出迎える。ご祭神は大雷神(オオイカヅチノカミ)。このあたりは、聖徳3年(1713)ごろ、度々落雷や日照りに襲われ、草木は枯れて田畑は荒れ果てた状態が続いていた。そんな中、徳川八代将軍・吉宗の復興をすすめる「享保の改革」もあって、新田開発が行われ、治水が進み、生活が安定。すると村人たちは「再び村が荒廃しないように」と大雷神を祀(まつ)り、境内の中央に御神木として椎の木(スダジイ)を植え、村人たちの大安と五穀豊穰を祈願したのが始まりと言われている(雷神社足立朝日)。







その後、栗原氷川神社でお参りした。鳥居と社号標石が立派で新しく、拝殿のギャップが凄い。

ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、誉田別命(ホンダワケノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)。創建は明らかではないが、神社の宝物から察するに天正2(1574)年以前ではないかと思われる。
同社の魅力の一つが、樹齢推定300年を越す神木だ。クロマツやイチョウ、モッコクなど約10本は保存樹にも指定されている。神木に囲まれた社殿を見ると、それはまるで時代をタイムスリップした雰囲気だ(足立朝日)。










その後、鷲神社でお参りした。


鷲神社【わしだいみょうじん・おとりさま】島根ばやしと開運子育ての神様。御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)[子育てわし大明神]、誉田別命(ほんだわけのみこと)[安産福徳の神]国常立命(くにとこたちのみこと)[国土主宰の神]。当社は花園天皇文保二年の御中興と伝える。古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでたこの地にご祭神が船でお着きになったことから浮島明神とも稱えた。九月、節分、十一月中祭日などに奉納される島根ばやしお神楽は無形民族文化財です(東京都神社庁)。


見つけた瞬間に「おぉ凄い!」と声を上げてしまった程、パワーを感じた。この「見つけた瞬間の感動」が神社巡りの楽しみでもある。





どの角度から見ても格好良い。








境内社・三峯神社




富士塚





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