はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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世田谷線沿線散策1
かなり前の話。3月30日、夕方からの仕事へ行く前に世田谷線沿線付近を散策した。20代の頃、世田谷線宮坂駅近くに住んでいた時には、付近を散策した事など、ほとんどなかったな〜。三軒茶屋駅から歩いて約10分、太子堂八幡神社でのお参りからスタート。



応神天皇の御霊とされる八幡さまは、東大寺の大仏建立に「日本のすべての神様を率いてその大事業を成功させましょう」(奈良時代)と、大きな工業力(鋳造技術)を発揮しました。そして仏教を信仰する人々よりは八幡大菩薩と仰がれ、民衆救済の神さまとしても信仰されました。平安時代には、新しい都の守護神(石清水八幡宮)となり、やがて源氏が氏神(先祖神)として、鎌倉時代には鶴岡八幡宮が建立され、幕府政治の要となりました。その後、産業・文化・武門の神として武家、庶民にますます篤く崇敬されてきました。現在も、特に厄除、家内安全、交通安全、安産、商売繁盛、学業成就、五穀豊穣、殖産興業など、人々の苦難を救い、あらゆる願いに応える多くの御神徳を備えた神さまとして仰がれ、全国で最も広く八幡宮・八幡神社としておまつりされています。八幡さまのお使いは、白鳩です。平和を守る武門の神の使いとしても、平和の象徴とされる鳩は誠にふさわしいものといえます。平安時代後期にまつられたと伝えられる「太子堂八幡神社」は、世田谷の要所・三軒茶屋の緑豊かな杜の中に位置し、皆様に親しまれています(公式サイト)。



絶賛お掃除中であった。





拝殿


境内社






幸せのうさぎさん


入口に鎮座する弁天さま





更に10数分歩いた所に鎮座する松陰神社でお参りした。


東京都世田谷区若林に所在する。旧社格は府社。付近には国士舘大学(世田谷キャンパス)や世田谷区役所がある。東急世田谷線松陰神社前駅下車。鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。1882年(明治15年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は1927年から1928年にかけて造営されたものである。徳富蘆花の「謀反論」でも書かれているが、谷を挟んだ向こう側には豪徳寺がある。豪徳寺は吉田を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の菩提寺である(Wikipedia)。


なんとも静かで神聖な空気が漂う感じであった。



松陰先生


お墓手前の鳥居


松陰先生のお墓



桜は半分くらい散っている感じだったかな。黒い鳥居が雰囲気を引き締めている。






更に、10分位歩いた所に鎮座する豪徳寺でお参りした。広い敷地が気持ち良く、少々休憩した。

豪徳寺(ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺二丁目にある曹洞宗の寺院。元は臨済宗。山号は大谿山(だいけいざん)。一説には招き猫発祥の地とされる。本寺付近は、中世の武蔵吉良氏が居館とし、天正18年(1590年)の小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったとされる。文明12年(1480年)、世田谷城主吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を結んだ。当初は臨済宗に属していたが、天正12年(1584年)曹洞宗に転じる。寛永10年(1633年)、彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備した。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」による(Wikipedia)。


招き猫


招猫殿


本堂









宮坂駅方面へ移動した。世田谷線沿線散策2へ続く・・・。

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