はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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江東区散策2

繁栄稲荷神社からてくてく歩く。宇迦八幡宮(うかはちまんぐう)でお参りした。


御由緒 亨保年間(1720年)近江の国の人千田庄兵工氏此の地に来り、時の幕府徳川八代将軍吉宗公に願い出て、此の土地を開拓せんと3年の長きを費やして村造りを固めなし、其の氏をとって武蔵野国南葛飾郡千田新田と名付けらる。後に寛政九年村全体が一橋家の領家となったので一橋領十万坪とも称したり。当神社はその当時小さな祠であったが、千田庄兵工敬神の念篤く、神殿を造り千田神社と称し土地の産土神として崇められる。たまたま土地に穀物の実らざるを嘆き当神社に祈願を籠め、神霊のお告げを受けて、これに代うるに片栗を栽培して農民の飢餓を救ったという古き伝説の故を以て、片栗八幡宮とも称す。御祭神は、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)、應神天皇(おおじんてんのう)(東京神社庁)。



拝殿


狛犬さん  元気だ



手水舎の龍が抱えているのは水晶?






更にてくてく歩き、猿江神社でお参りした。最寄り駅は住吉駅。

由緒・歴史神社としての正確な創立年代は不詳であるが、康平年中(一〇五八)頃には近在の信仰を一身に集め、稲荷社として境内地五百余坪を有したという。一千年以上の歴史をもつとされる由緒深き神社である。昭和二十一年に伊勢大御神を合祀し、社名を猿江稲荷神社より改称してからも「猿江のお稲荷さん」として親しまれている。平安時代後期、源頼義・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征(前九年の役)において、数々の奉勝を立てた家臣に『猿藤太』(さるのとうた)という武将がいた。武勇の士と讃えられた人物であったが、此の地の入江で力尽きてしまった。これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、当社の境内に塚を建て葬った。此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び「猿江」の社名になったと伝えられる。(お宮参りの輪)



拝殿


教会のようだ。

狛犬さん



神猿さん


敷地内に鎮座していた藤森稲荷神社 銅色に輝いている。




観音さま





本殿真裏にもお稲荷さんが鎮座している。


お向かいにも。


帰り道見かけた日先神社お参りした。





江東区木場辺りから住吉辺り迄歩いてみて、東京五輪に向けてなのか無関係なのかわからないが、とにかく工事中の建物が多いなと言う印象であった。


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