9月上旬頃、下赤塚を散策した。東京大仏、赤塚氷川神社でお参りした後、20分くらい歩いて、赤塚諏訪神社でお参りした。
創建は文明年間といわれ、赤塚城主千葉自胤が信州諏訪大社の分霊を勧請してここに祀り、赤塚城の鬼門除けにしたと伝えられています(板橋区観光サイト)。
夫婦銀杏 どう頑張っても全体像を撮影出来ず
拝殿
民家のような渋い本殿
隣にあった竹の子公園
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そこから、30分位歩いたかな。道を間違ったりした(^^; 次に、徳丸北野神社でお参りした。
当社が所蔵する社宝『天神宮紀』によれば、一條院正暦年中(990〜994)に、この地に疫病が流行し、里人等大勢の者がこの病により暴死した。この時、里人の一人徳麿(とくまろ)の夢に大神様が現れ、当地にある梅の古木に祈願するようお告げがあった。お告げの通り梅下により、疫病の癒えん事を謹拝して去った所、奇妙な効果(霊験)が得られ疫病はことごとく去って行った。そこで、梅はまさしく聖廟天神の珍愛されたことから、山城国(京都)北野天満宮より御分霊を戴き、当地に祠を設けて、天満宮と号した。第66代一條院長徳元年乙羊(995)正月11日御幣帛を捧げ、大前に田夫の業を以て俳優(わざおぎ)となし、神威を安んじ奉った。この田夫の業とは、今の国重要無形民俗文化財「田遊び神事」の事で創建以来一年も休まず続けられている。以降、1,000年以上この地に鎮座し徳丸郷の氏神(徳丸・高島平、新河岸地区)として、合格学問成就・邪気祓・病気平癒の守護神として広く崇敬を集めている。御祭神は正一位太政大臣 菅原朝臣道真公。(公式サイト)。
小さい子供を連れた夫婦がご祈祷を受けていた。
くさびがある鳥居
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板橋の田遊び(いたばしのたあそび)は、東京都板橋区徳丸・赤塚地域に伝わる民俗行事である。板橋区の徳丸北野神社と赤塚諏訪神社において奉納される。徳丸北野神社は2月11日、赤塚諏訪神社は2月13日の夜に行われる。田遊びは稲作の季節を前に五穀豊穣を祈る「予祝(よしゅく)」の意味であって、これを夜に行うのはかつては秘事であったからである。種まきから収穫に至る稲作の一連の作業を、所作と唱え言葉で再現していく。1975年(昭和50年)の文化財保護法の改正によって制定された重要無形民俗文化財の第1回の指定を受けた(wikipedia)。
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下赤塚界隈は、アップダウンが多く、ちょこっとジョギングするには、かなりの頑張りが必要そうな町であったが、かなり大きめの公園が点在していたりで、散策も楽しかった。
駅前の八百屋さんで買ったシャインマスカット☆480円也。日持ちするし、かなり食べ応えがあった。美味☆