10月下旬頃、東京マラソンのコース内で、馴染みが無い道の一部を歩いてみた。
水天宮前駅をスタートして、東日本橋、浅草橋、蔵前、浅草雷門で折り返し蔵前に戻り、蔵前橋を渡って隅田川を越え、両国、森下、清澄白河、深川、門前仲町に到着してこの日は終了。凄い歩いた気分だったが、僅か10kmくらいなんだな。知らない道は長く感じるものだ。本番当日、ここまで走って来られるかは微妙だが、とりあえず散歩は楽しかった。
まずは、水天宮でお参りした。
水天宮(すいてんぐう)は、東京都中央区日本橋蛎殻町にある神社。福岡県久留米市にある久留米水天宮の分社である。水と子供を守護し、水難除け、漁業、海運、農業、水商売、また安産、子授け、子育てについて信仰が厚い。御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)。江戸鎮座200年記念事業として社殿の建て替えを行った。平成28年4月8日より新社殿への参拝者の受け入れを開始した(Wikipedia)。江戸時代、久留米藩主の有馬頼徳が三田(現在の港区)の江戸屋敷に分霊を勧請したのがはじまり。当時、一般人は参詣できなかったが、江戸っ子たちの信仰は次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が絶えなかった為、5の日に限って屋敷を開放されました。現在でも、毎月5日と戌の日の水天宮の縁日で開帳されています(じゃらん)。
やけに綺麗だなと思ったら、昨年建替えをしたんだな。
丁度、観光バスが到着した時で、大勢の参拝客がいらした。
安産子育河童
足下と胸、肩に赤ちゃん河童がしがみついている姿が印象的な、仲睦まじい河童の親子像。
寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)
江戸の頃、有馬家上屋敷内には市杵島姫(いちきしまひめ)神も祀られていました。代々の当主は辨財天を篤く信仰し、第九代藩主 有馬頼徳公が寳生流能楽の技を加賀藩の前田斉広(なりなが)公と競う際、稽古に励み辨財天に願をかけ、勝利をおさめたといいます。学業・芸能、又「寳生」の名のごとく財福のご神徳がございます(公式サイト)。
艶やかだ。
ビルの2階部分に鎮座している。
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東日本橋駅付近で見かけた矢之庫稲荷でお参りした。江戸時代、この周辺に幕府の米蔵があったことから、それを守る為に建立されたらしい。
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蔵前駅から浅草雷門を目指していた時に見かけた駒形堂でお参りした。
駒形堂は、浅草寺のご本尊である観音像が、隅田川から引き上げられた地に建立されたお堂です。馬頭観音が祀られていることから「駒形」の地名の由緒ともなっています。現在の堂は平成15年(2003)に再建されたものです。ご本尊顕現の地のため、お堂周辺の十町余りの川筋は魚介殺生禁断となり、戒殺碑が建立されました(台東区サイト)。
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両国駅付近を通過した時に見かけた榛稲荷神社でお参りした。
榛稲荷神社はんのきいなりじんじゃ
このあたりは、榛馬場とよばれた馬場のあったところで、東西102間(約185m)南北12間(約22m)ありました。馬場を囲む土手に大きな榛があったところから、この名がつけられたのでしょう。この馬場は本所に住む武士の弓馬の稽古を目的としたものです。この馬場の傍らに祀られていたのが榛稲荷神社です。この神社には天保8年(1837)亀沢町の若者中が奉納した1対の木製朱塗りの奉紙立が現存しています(墨田区サイト)。
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最後、門前仲町駅を目指していた時に見かけたえんま堂でお参りした。
法乗院(深川えんま堂)は、1629(寛永6)年創業という真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺。平成元年に建立の閻魔大王座像は、寄木造で、高さ3.5m、幅4.5m、重量1.5tという巨大な閻魔様。名実ともに日本一の閻魔大王像になっています。しかも、この閻魔大王像、コンピューターで制御。大王像の前に、「家内安全」、「交通安全」、「夫婦円満」、「合格祈願」、「ぼけ封じ」、「いじめ除け」など19のご祈願が別個に記された、賽銭の投入口が用意され、自らの希望するご祈願に賽銭を入れると、仏様の様々な説法が音声で流れるシステム。閻魔大王の「除けと封じ」の力を生かしたものとかで、こちらも日本初のユニークな機能となっています(東京とりっぷ)。
お賽銭を投入したら、仏さまが大きな声で喋りだしたので驚愕(◎_◎)!!そう言うシステムだとは知らなかったので・・・。動揺してしまい、何を言われたのか、全然頭に入ってこなかったf^^;
「東京」と言うよりは「江戸」と言った方が馴染むようなコースだった。