はっさくが、気まぐれに思いのたけを綴っているブログ
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1月の雨
2019年1月が終了。夜は雪の予報だったが、かなり本降りの雨になった。♪あなたを憎むほど愛してなかった COLD RAIN 1月の雨が雪になる〜と小さな声で歌いながら帰ってきたが、雨も止んで雪になる気配はない。それはそれで良かったけど。
児玉神社
2018年10月下旬頃、神奈川・江の島を散策した。江島神社等の思い出記録は、そのうち気が向いたらするとして、充分堪能して帰ろうかと思ったら、児玉神社が視界に入ったので行ってみた。




児玉神社 入口




辿り着いたら修復中であった。




珍しい狛犬さんだなぁ〜と、写真を撮っていたら、お掃除をしている男性が声をかけてきた。「これは台湾から贈られたんですよ」と。なるほど、普段余り見かけないタイプな訳だ。





「口の中の玉は、動くんですよ」と言われて、手を突っ込んでみると、確かに玉はゴロゴロと動いた(^^;



その後、「あなたは二十歳を過ぎていますか?」と聞かれたので、「は?充分過ぎてますけど」と言うと、この狛犬は雄と雌で、シンボルがはっきりしていると教えてくれた。「二十歳を過ぎていない女性に言うとセクハラになるから」と。いつもこんなやりとりをしているんだろうな。とは言っても、主要観光スポットには観光客がたくさんいたが、ここにいたのはわたくしだけだったがf^^;



この方を祀っている神社だ。


本来のお姿の写真。費用不足で、当面修復される見込みは無いそうだ。



子神社
先日、休日出勤で横浜の日ノ出町へ行った。目的地を目指している時に鳥居が視界に入った子神社(ねのじんじゃ)でお参りした。





子神社(ねのじんじゃ、ねじんじゃ)は神奈川県横浜市内に3社ある、大国主命を祭神とする神社。共に旧社格は村社である。子神社(ねのじんじゃ)は神奈川県横浜市中区日ノ出町にある神社。

大国主命の遣いが子(ね、ネズミ)であるため、甲子(きのえね)の日に祭事を行っていたことから「子の神様」と言われ、神社の名称にもなった。

創建は推古天皇の時代と伝えられる。 12世紀頃より東福寺が別当となった。文禄3年(1594年)松平越前守が霊地保護のため本社の四隅に禁制札を掲げたことから、人不入斗宮(ひといれずのみや)と称されていたという。 慶応元年(1865年)周辺諸村の神社を合祀、明治6年(1873年)村社となる。現在は伊勢山皇大神宮の兼務社となっている(Wikipedia)。



鳥居


拝殿




狛犬さん 凛々しい





拝殿の脇には、猿田彦命さま






お陰様で、この日の仕事は無事に終わった。ありがたい。
来る
2018年12月中旬頃、映画「来る」を観た。

第22回日本ホラー小説大賞に輝いた澤村伊智の小説「ぼぎわんが、来る」を、『告白』などの中島哲也監督が映画化。幸せな新婚生活を送る田原秀樹(妻夫木聡)は、勤務先に自分を訪ねて来客があったと聞かされる。取り次いだ後輩によると「チサさんの件で」と話していたというが、それはこれから生まれてくる娘の名前で、自分と妻の香奈(黒木華)しか知らないはずだった。そして訪問者と応対した後輩が亡くなってしまう。2年後、秀樹の周囲でミステリアスな出来事が起こり始め......(シネマトゥディ)。




鑑賞後、頭の中で????がいっぱい。なんだこれは(・・)?と言う感じ。恐らく原作小説は面白いのではないかと思い読んでみた。まず、「ホラー小説」と言うのを読んだのは初めてかも。静止画や動画等「絵」の無いホラーって難しいものだよな。でもさすが大賞を取っただけの事はある面白いストーリーであった。野崎と琴子が田原の家族に会いに行くシーンがこの物語の核ではないかと、わたくしは理解したけど、その部分は映画では無かったような(記憶が薄れているけど)。前半、田原のクズ夫シーンが無駄に長かったと思う。
活動休止
嵐さん、2020年で活動休止だ。嵐さんがもしいつか終わるとしたら、大野くんが辞めたいとか言いだした時ではないかとうすうす思っていたけど、やはりその通りになった感じだ。とりあえずまだ終わりではないけど。大野くんは自由に生きたい人だし、これまで20年間よく頑張ったと思います。嫌な事があった日、嵐さんのテレビ番組やLIVEDVDを見て笑えば一瞬で気分が晴れた。ありがたい存在であった。


最近は、ファンのわたくしが見てもなんとなくマンネリ感があったしな、仕方ないのかな〜と思う。10代から始めて、良い大人になって、ず〜っと一緒でってのもなかなか難しいんだろう。

大野くんがグループ脱退ではなく、グループで活動休止にしたのはまだ良かったかな。残念だし寂しいけど、メンバー皆、幸せになって欲しい。

明治神宮
先週、横浜の実家へ行った帰り道、明治神宮でお参りした。



夕方だから、影ってしまったな。




清正井

それまで、神宮御苑の一つの井戸であった清正井(きよまさのいど)であったが、テレビ番組にてパワースポットとして紹介されたことを契機に2009年(平成21年)12月25日から突如、人気を集めるようになり、産経新聞によると、数時間待ちとなることもあったという(Wikipedia)。


そんな訳で多くの人が来たから、パワーは無くなったとも言われているらしいが(^^;それでも青みがかった様子には、何とも言えない空気感がある。







真冬は花も咲いてなく寂しい。


ハピバ
翔くん、誕生日おめでとう☆彡 お母さんの話だけでなくお父さんの話も聞きたいな。


わたくしも37歳になった頃から、おばさん度合いが1ランクレベルアップしたような気がしたな〜。背中とか脇腹付近にヘンな肉がたるむようになったと記憶している。


その後、40代には走る楽しみと出会いシェイプアップしたが、近頃は走ると凄ーく疲れるので(*_*)、ウォーキング程度でごまかしているからか、再び37歳頃の体型に戻りそうで怖い。

ドアに挟まった
今朝、出勤時に電車が遅れていたのに、更に時間調整とかで待たされた後やっとこ出発し、次の駅に到着。その次の駅へ向かおうとしたら、中途半端な所で緊急停車。誰かの荷物がドアに挟まったとかで、それを撤去する為に10分くらいかかった。何故だ・・・。沈
叶神社(西)
かなり前の話。叶神社(東)でお参りした後、叶神社(西)を目指して浦賀駅へ戻った。工事中だと言う事だが、せっかくここまで来たので。浦賀港を船で渡って行けるらしいが、怖いので止めた。



その途中で見かけたお稲荷さん。やはりヤシの木が生い茂っていた。






途中見かけた八雲神社でお参りした。まるでお寺のようだなと思ったら、やはり以前はお寺だった。





祭神は須佐男命です。この社は江戸時代の建物で、当時は、大谷山満宝院八雲堂という修験の寺でした。明治以降、神社に変わりましたが、建物はそのままで、屋根に宝珠が乗る、寺院型式のお堂建築となっています。お堂の格子からのぞくと、修験の護摩壇が見えます。また、向拝(ひさし)には、しっくいで造られた龍が取り付けられ、その後ろに掛かっている刀には、大山信仰の初山競いの武勇伝が伝わっています。東浦賀一丁目の鎮守として、毎年6月に祭礼が行われています(横須賀市サイト)。





叶神社(西)でお参りした。



叶神社(西浦賀)は、誉田別尊と、比売大神、息長帯比売命(神功皇后)を祭神とする。

伊豆国で配流の身だった源頼朝と知遇を得た北面武士出身の僧・文覚が、源氏再興のために養和元年(1181年)石清水八幡宮を当地に勧請し創建、源氏再興成就した頼朝が文治2年(1186年)に叶大明神と尊称したと伝えられる(Wikipedia)。



鳥居


浦賀ペリー歯科って(^^;

仮殿で手を合わせた。







工事中



写真で見ると素敵だったので、また来てみたい。
叶神社(東)
10月中旬頃、横須賀市浦賀に鎮座する叶神社(東)でお参りした。



叶神社(かのうじんじゃ)は神奈川県横須賀市浦賀地区にある神社。浦賀港を挟んで2社ある。 勧請した石清水八幡宮と同様、共に、誉田別尊(応神天皇)など八幡神を祭神とする。叶神社(西浦賀):通称、西叶神社。叶神社(東浦賀):通称、東叶神社(以下説明はWikipediaと横須賀市サイト)。

叶神社(東浦賀)は、正保元年(1644年)に西浦賀の叶神社を勧請して創建された。明治になるまでは、耀真山永神寺と呼ばれる真言宗醍醐派寺院を別当としていた。



鳥居


鳥居を撮影している場所で後ろを振り返るとすぐ海だ。


拝殿


歴史を感じる雰囲気だ。





-明神山:浦賀城跡-
東叶神社拝殿の左側から始まる200段を越える石段(恵仁志坂・産霊坂)を登りきった山頂の正面にある奥宮は、小さいながら立派な彫刻のある本殿でしたが火災により焼失しました。現在の本殿は、創建八百年を記念して昭和56年(1981)に再建されたものです。奥宮の近くには東照宮や神明社があります。


階段を上って・・・


上って


上って


勝海舟が咸臨丸出航前に、当地で断食修行をしたと伝えられ、社殿裏の階段を登ると記念碑が建てられている。


階段を上った事に疲れ果て、色々な写真を撮り忘れてしまった。翌日から謎の筋肉痛に襲われて3日位治らなかったのは、この階段昇降のせいだろうな。





狛犬さん 年季が入っている




ヤシの木が生い茂っている さすが海沿いだ


石垣に開いた祠の奥には石の弁才天が祀られています。祭神は「厳島媛命」で、海難その他の難事の際に、身代わりとなって人々を救う「身代わり弁天」として祈願されています。






永勝不動尊:旧永神寺の本尊




社務所の裏に井戸があります。幕末に、遣米使節の護衛艦となった咸臨丸の艦長として、太平洋横断を成し遂げた勝海舟が、航海前にこの井戸で水垢離をした後、山頂で断食したと伝えられています。






近頃、海の無い埼玉に住み慣れたからか、海辺を歩いていると吸い込まれそうで怖い・・・。